人と比べて、勇気だけはある方なのかなと、しばしば感じることがある。海外旅行もしたことがないのに、いきなり研究留学を始めたり、めっちゃブサイクのくせに、超美人な女性にいきなり告白してみたり(もちろんフラれる)、勇気があるというよりは、ただのアホなのかもしれない。
自分の出会った人の中には、自分より才能に溢れているのに、そのちょっとした勇気がないせいで、チャンスを逃している人がたくさんいた。別に、本人としては、純粋にそのことに興味がなかったのかもしれないが、ほんの少しの勇気が出ないせいで、人生損をするということは多々あるのだろう。
自分自身、うつ病になってから、以前のような勇気が出なくなり、そのあたりから「勇気ってなんなんだろう?」と、しばしば考えるようになった。
ネットで「勇気の出し方」と調べても、納得できる記事には出会わないし、「勇気力」みたいな新書も未だにみたことがないから、人生において勇気というのは非常に重要な要素だが、意外にも「勇気の研究」というのは進んでいないのかもしれない。
ここ数年、ずっと思っていることとして、「勇気とは100%から恐怖心を差し引いた物なのではないか?」ということがある。言ってみれば「勇気の公式」である。
勇気 = 1 – 恐怖心 ただし 0 < 恐怖心 < 1
数年間は自分の中で「この公式はおそらく正しい。誰かに発表される前に、早く学会で発表してしまおう」と思っていたのだが、自分自身でこの公式の欠点にも気が付いてしまった。
それは「興味のないことは、そもそも行動に移そうと思わない」ということだ。「海外旅行に行ってみたいけど、怖い」という場合には上の公式は成立するかもしれないが、「そもそも海外旅行に興味がない」という場合には、いくら海外に行くという恐怖心が”0”の場合であっても、行動には移らない。
なので最近は、勇気の出し方として、
勇気 = (1 – 恐怖心) x 好奇心 ただし 0 < 恐怖心 < 1
という公式を提唱している。ただ、この公式では、勇気が100%を超えてしまう場合があるので、あまり綺麗な公式ではないが、誰かに発表される前に、早く論文投稿して学会発表してしまおうと思う。
「勇気の出し方」よりかは「恐怖心の下げ方」の方が、方法として現実的な気がする。シミュレーションしてみたり、ロールプレイしてみたり、簡単なものから慣らしてみたりとか、色々方法が思いつく。
例えば、海外旅行の場合、いきなり南米の僻地に行かずに、韓国とかハワイとか旅行しやすい国で、慣らしていき、恐怖心を和らげるのだ。
ただ「興味のないこと」に関しては、どうしようもないような気がする。他人から「興味を持て!」と言われても、自分から湧き出てこないものに関してはしょうがない(確か、興味とか新規探求性というのは遺伝の要素が強いと言われていた気がする)。
勇気というのは「する勇気」と「しない勇気」があるが、どちらも「これまでの行動パターンを変化させる」という性質がある。それによって、未知なる帰着に飛び込むのだ。その勇気が出ないと、同じ行動を取り続け、同じ結果ばかりを体験することになるのだろう。