人生には”成し遂げる”側面と”享受する”側面の両方が存在する

うつ病が寛解し始めて、旅行したり、買い物したり、何かを楽しむ気力が回復してきた。

先日、仕事が終わって、家でお酒を飲みながらYoutubeを見ながら、美味しい寿司を食べている時に、素直に「ああ、このために生きているなあ」と感じた。

美味しいものを「美味しい」と感じたり、楽しいことを「楽しい」と感じるために、人生があるということを、うつ病が楽になり始めてから、しみじみと感じる。そして、そんな当たり前と思われるようなことも、うつ病発症前の「何かを成し遂げることだけのために生きていた自分」はよくわかっていなかった。

「何かを成し遂げるため」「他人からすごいと思われるため」「誰かに勝つため」そんなことばかりに意識を割き、楽しむことを蔑ろにした自分はアンヘドニアという「楽しさの味覚障害、楽しさの不感症」を患い、うつ病になった。しかし、自分がいた職場には、当時の自分以上に「何かを成し遂げるためだけに生きている」人たちがたくさんいた。

自分を含め、そういう人たちにとって「楽しむこと」は「時間の無駄」でしかない。

「そんなことしてる暇があったら仕事しろ」とか「そんな無駄なことに時間を割いて、いったい何の意味があるんだ?何の役に立つんだ?」とか、そんなことを彼らはよく言っていた。

でも、「人生の意味」について、彼らは決して深く考えていたわけではない、ということが今はわかる。仕事ばかりして、業績をあげて、出世競争に勝ったとする。「でも、それって何の意味があるの?何の役に立つの?」とそっくりそのまま返すことができる。「どうせ最後はみんな死ぬじゃん?」と。

冷静に考えると、世の中のほとんどのものが「無駄」というか「一見すると必要不可欠ではない」もので満ち溢れていることがわかる。

食事だって、「栄養を摂る」ということが目的なら、美味しいものを食べる必要も、違うものを食べる必要もなく、毎日完全食だけ食べていればいい。けど、そんなんで満足できる人はほとんどいない。必要不可欠でなくても、美味しいものを、寿司を、時間とお金をかけて食べに行くのだ。

別に寿司を食べたところで、それがその後の人生の役に立つわけではない。寿司を食べる目的は、寿司を食べて美味しいと感じることであり、目的と行為がその中で完結されている。それ以上でもそれ以下でもなく、寿司を食べて、寿司が美味しいと感じるために、寿司を食べる。

趣味に関しても、同じだ。「それが仕事に生きるのか?趣味にそんな時間を費やして出世できるのか?」とか言う人は、視野が狭く、全ての物事が一つの目的のために存在していると錯覚している。ゲームして、旅行して、楽しいと感じるために、それらをするのであり、そこで完結している。それらが仕事にどう関わってくるとかではなく、関係のない、独立した事柄である。

思うにワーカホリックはこういうことが理解できない病気だろう。

「趣味なんかに時間を費やして、仕事の役に立つんですか?」という人は「経済の勉強なんかして、それが肺活量の向上のために役に立つんですか?」とか言っているに等しい。関係ねーよ!別に役に立たねーよ!そもそも人生には独立したテーマが複数存在してんだよ!

そんなことを考えていたら、先日趣味のスマブラ観戦をしている時に最上位ソニック使いのKENさんがほとんど同じことを言っていた。自分が30年以上かけてたどり着いた答えに、20代半ばにして、とっくにたどり着いている。すごいなと思う。自分がKENさんの年齢の頃は、趣味なんて無駄と思って生きていた。

当時の自分に教えたい。「お前、仕事ばかりに没頭して、アンヘドニアになってうつ病になって、仕事もできなくなるぞ?」と

1:14:40~リスナー「スマブラは時間の無駄」KENさん「まあ、楽しければね、時間の無駄じゃないからね。そんなこと言ったら、お前食事、全部カロリーメイトなって。あのね、趣味を時間の無駄っていう人は食事全部カロリーメイトにしてください。美味しいもの無駄なんで。味を全く気にしない食事にしてください、無駄なんで。そういうことだよね?」

【スマブラSP】なにかする
【スマブラSP】なにかする

人生には”成し遂げる”側面と”享受する”側面の両方が存在する。人生には全く独立したテーマがたくさん存在している。

決して、「成し遂げる側面」を否定しているわけではない。むしろ「成し遂げる側面」も必要で、結局自分もうつ病を患った後も研究を続けていて、何かを成し遂げようとしている。

でも、楽しさなどのポジティブな感情を「享受する側面」も必ず存在していて、現代人は特にこちらを蔑ろにしがちだ。そして、こちらを疎かにし、成し遂げることばかりにエネルギーを捧げると、バランスが崩れ、人として大切なものをたくさん失う。

自分みたいにうつ病になる人もいるだろうし、成し遂げていない人を蔑み、性格が悪くなり、友達を失っていく人もいるだろう。

成し遂げることだけにエネルギーを捧げている人は、一箇所から栄養を得ている人で、偏食だ。笹しか食べられないパンダみたいだ。笹があるうちはいいが、笹がなくなれば終わりだ。

生きているうちに、何か大きなことを達成できる人は少数派だし、永遠に成功し続ける人なんていない。「享受すること」を疎かにする人は、一箇所からしかエネルギーを得ていない、危険な生き方をしている。

そうならぬよう、自戒の念を込めて。「成し遂げる:享受=3:7」くらいの割合で生きていく。

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コメント

  1. すぱろに より:

    私も米国に研究滞在経験があり,おそらく年齢も同じくらいなのではないかと思い,以前からたまに読ませていただいておりました.
    「何か偉大な研究をせねばならない」「論文で名前を残さなくてはならない」そんな強迫観念と焦燥感に突き動かされて10年程研究開発を行なってきましたが、昨年末から体調に異変を感じるようになり,現在療養の身です.「現在の私の状況、たまに読んでたあのブログに書いてあった状況と全く同じでは?」と思い今日改めて読んでみたのですが、自分の状況そのままで驚きました.「〜をすることで,何か研究や仕事に役立つんだろうか?」という目的志向、理屈ドリブンの思考が染み込んでおり,楽しみを楽しみとしてそのまま享受することができない.
    自分の状況に気づくのに本当に役立ちました(何か理由づけをしないと人に感謝もできない笑).記事を書いていただきありがとうございました.

    • 管理人うつなま より:

      コメントありがとうございます。そう言っていただけると、書いた甲斐があります。どうかお体ご自愛ください。