敗北を受け入れる勇気 vol.2

前回の続き。

敗北を受け入れる勇気 vol.1

今にして思うと、入ったばかりの学生に半強制的に深夜まで研究室に居残らせて、実験させるように仕向けるなんて、おかしいのだが(今から10年以上前は今以上にアカデミック業界のモラルがバグっていたように感じる)、教授から「別に早く帰ってもいいけど、多分そんなんじゃこの業界で生き残っていけないよ?」とか「自分が君くらいの年齢の時には、もっと働いていた」とか言われると、学部4年生の血気盛んで、なおかつ純粋だった時期の自分は「よし、それならやってやる!」と言われるがままに深夜まで働き始めた。

今思えば自分は学部四年生の時点でブラック企業以上のブラックな環境でタダ働きしていたんだなと思う。入りたての、右も左もわからない学生をうまいこと言いくるめて、無料で法外な労働力を搾取するなんて、モラルがぶっ飛んでいるとしか言いようがない。今の職場で、朝9時から夕方5時までの労働でPIになった人も何人も知っているし、今なら「深夜まで働けないと生き残っていけない」というのが嘘であったことがわかる。でも、それは自分が博士をとってポスドクとして海外留学して世界を見たから、そういうことがわかるのであって、何も知らない学生に、そんなことを言ったら、信じてがむしゃらに働くか、早々に研究者を諦めるかの二択になるだろう。

小さい頃からの夢だった研究者になるべく、自分は20代前半にして、朝から深夜まで研究室でタダ働きを始めた。それでも、最初の頃は、実験をするのが楽しくて、同じ実験を毎日繰り返しても飽きなかった。

でも、一年くらい経って、修士課程に入る頃から異変を感じ始めた。まず、朝ごはんを家で食べることが全くなくなってしまった。睡眠も、深夜2時から朝の8時という6時間睡眠が平日の間は固定されて、たまに早く帰った日でも、深夜2時まで眠れることがなかった。土日も来ることが推奨されていたが、土曜日は夕方まで起きることができなくなり、一食だけコンビニで買って食べて、また寝ていた。またお酒もタバコもこの頃に始めた。修士課程から、自分は毎週金曜日は必ず晩酌をしている。

あんなに楽しかった実験も、研究業績という観点から、プレッシャーの方が大きくなってきて、それほど楽しめなくなっていた。

また、先輩との仲が悪くなり始めたのもこの辺りからだ。先輩もハードワーカーで自分と同様に深夜まで研究室にいた。学部四年生の頃は「お、君も頑張ってるね」と快く評価してくれていた先輩も、次第に自分への態度が冷淡になっていった。おそらく、研究者として結果が出始めている自分を脅威に感じて疎ましく思い始めたのだろう。

そのあたりから、先輩との、無言での「どっちが遅くまで研究室にいるか」冷戦が始まった。とにかく2人とも帰らないのだ。正直、人間の集中力はそんな持たなくて、先輩も自分も0時を超えたら、もう研究せずに、パソコンでネットサーフィンしているだけだったが、それでも帰らない。ただ、その先輩は生粋の負けず嫌いで、「負けるくらいなら死んでやる」くらいの気迫が感じられて、その勝負はたいてい自分が先に根を上げて「お先します」と言って、先輩より早く研究室を後にした。それでも、0時は超えていたが。おそらく、先輩は自分が帰ってから10分くらい後に帰っていたのだろう。

「自分が先輩より早く帰っている」というのは先輩から教授へ密告されているようだった。その先輩と教授はツーカーの関係だった。あんなに夜遅くまで残っていたのに、教授からことあるごとに「何時くらいに帰っているの?」とか「もっと頑張らなきゃ」とか言われた。旧共産主義国家で監視されながら生きているような、心地の悪い、不気味な恐怖心を感じながら、無意味に深夜まで研究室にいた。

先輩は自分が博士一年の頃に卒業して、関西から関東の別の研究室へ移った。最後の方、先輩は完全に自分を避け、そして研究室の後輩の大多数を味方につけて、後輩たちに対して自分のネガティブキャンペーンを行っているようだった。自分は完全に研究室で孤立していった。仲の良かった後輩でさえ、自分を避けているように感じた。よくあの時期に精神が崩壊しなかったなと思う。やはりそこには、自分の変な負けず嫌いさというか、アンフェアさに対する憤りを原動力に、執念で研究室に通い続けた。

つづく

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