敗北を受け入れる勇気 vol.5

前回の続き。

敗北を受け入れる勇気 vol.1

敗北を受け入れる勇気 vol.2

敗北を受け入れる勇気 vol.3

敗北を受け入れる勇気 vol.4

「アカデミックを辞める」と決意した瞬間、何かが自分の中でプチっとちぎれて、そして一気に気が楽になった。今まで積み上げてきたキャリアがふいになってしまう「残念」という感覚や、勝つことができなかったという「敗北感」、それと同時に、もう自分の体を犠牲にしてまで戦わなくても良いのだという多大なる「安堵感」が同時に訪れ、なんとも不思議な感覚だった。

自分は1ヶ月以上、実験を止めてまで手がけていた申請書を断念した。この「何か手がけたものを途中でやめる」というのは自分の人生で初めてだったかもしれない。それくらい、自分は何かを始めたら、それの失敗か成功かの判定が下されるまでは、天変地異が起きようともやり続ける、そういう性分だった。

なぜそういう性分になったかというと、母が中途半端なことが大嫌いで、自分が宿題とか、何かをいい加減な形で終わらせようとすると、すごく怒って、そして実際に母が納得いく形で終了するまで、その怒りを取り下げてくれることがなかったからだ。そして、その強迫的で禁忌の強い性格は、気づけば自分そのものに乗り移り、自分の限界を超えるまで、自分のケツを叩いて、自分を走らせて、自分はうつ病になった。

禁忌を破れない人たち

自分は今回、「何か着手したものは最後までやり遂げなければならない」という禁忌を破ることに成功した。うつ病になってから、アメリカに来てから、カウンセリングを受け始めてから、自分はさまざまな禁忌を破って、そして少しずつ生きやすいパーソナリティーというのを獲得している。

また、今回申請書を書くにあたって、自分はさまざまな友人に「申請書を書いている」ということを宣言していた。申請書を断念するということはつまり、その友人たちにも「申請書やめました」ということを伝えなければならないということだ。「大したことないやつ」と思われたくない感情が人一倍強い自分にとって、失敗や挫折を人に伝えることは、是が非でも避けたいことであった。だから、そもそも自分は何か大切なことを人に宣言しないことが多かったのだが、今回はその禁忌を、二重で破っているのである(大切なことを宣言する+その宣言が失敗に終わったことを伝える)。大した成長である。

しかし、申請書を断念するだけなら、自分自身の禁忌を破るだけなのだが(それでも「禁忌を破るということそのものが」十分難しいことなのだが)、自分がアカデミックを辞めるというのは、憎き、かの先輩に勝ちを譲ることにもなり、その紛れもない大敗北を自分は認めなければならなかった。

それは、自分をいじめてきて、自分の研究や人生を不当に妨害してきた先輩が、なおかつ研究においても杜撰でいい加減な仕事をして、その上で研究者として自分より優れたキャリアを歩むという、自分の中の勧善懲悪の概念を覆す、屈辱でなんとも悲しい敗北なのだ。残念ながら、先輩は研究室を出た後も、いい論文を出し続けて(本当に再現が取れるのかは知らないけど)、そしておそらく近いうちにPIとして独立するのだ。

極端な例だが、自分のこの感情は、自分の愛する彼女が暴漢に目の前でレイプされ、彼女の体が痛めつけられるだけでなく、その上で、心もその暴漢に持っていかれてしまう感覚なのだ。自分は何も悪いことしてないのに。。。せめて心は自分を好きでいてくれよ。。。彼女とは自分にとって研究である。研究に誠実に向き合ってた自分でなく、レイプしたそいつを選ぶなんて、絶対に間違っている。

でも、自分はその最大限の屈辱を受けることが分かっていながらも、自らアカデミックを降りることで、この敗北を受け入れようとしている。自分は彼女を守ることより、その暴漢に勝つことより、自分自身の身の安全と健康を優先することを選んだ。いや、長年の取り組みを経て「選ぶことができるようになった」というべきか。

自分は、先輩がアカデミック業界で成功することは、つまりアカデミック業界の終わりだというふうに感じていた。ライバルを不当にいじめて、適当な仕事で論文を出してポジションを獲得する、そんなことをする奴らばかりがこの業界にいたら、アカデミックは終わってしまうと。そして、自分はそれを止めるヒーローであると、そういう使命感を感じている時期があった。

ただこれに関してはアメリカに来て認識が変わった。うちのボスもそうだけど、いい人で、いい研究をして、いいポジションを獲得して、いい人材を育てる、そういう正義のヒーローを実際に自分でたくさん見聞してきて、多少先輩みたいなのがいても、この業界は終わらないと思ったのだ。

アメリカに来て、自分の世界は少し広くなった。

先輩が研究室を去ってから、自分は先輩の業績をチェックするのがやめられなくなった。それはものすごく怖いことだったけど、怖いもの見たさなのか、先輩がどんな論文を出したか逐一チェックしていた。そして、先輩は実際にIFの高い論文をたくさん出して、自分はその度に心臓がざわつき、動悸がし、心地の悪いストレスを感じていた。「自分の先を越される」と。そして「自分は殺される」と。

でも、自分がアカデミックをやめたら、そのストレスからも解放される。きっと朝もスッキリ起きれる。人生で毎日気持ちよく起きられること以上に優先すべきことってあるのだろうか?

自分は敗北を受け入れて、これ以上の戦いを放棄することで、安眠を手に入れようとしているのだ。

いや〜しかし、勝てなかったな〜と思う(笑)。vol.1で書いたように、みくびられたくないという思い一心で知らないおじさんをはたきに行くという奇行にでれる自分が、ここまでの敗北を受け入れることになるとは。先輩や教授という巨悪に打ちひしがれるだけでなく、最近は一身に敗北を集めている。その他の敗北をちょっと思いつくままリスト化してみようと思う。

  • 好きだった子のお兄さんから「うつなま君は、研究者として大成するタイプではない」と言われていた。当人の目の前では何も反応しなかったけど、内心、好きだった子の前でみくびられた悔しさで、憎悪で燃えていた。教授になっていつか見返してやる!と思っていた。けど、どうやらそれも叶わない。私の負けだ。
  • 当時、アカデミック至上主義者だった自分は、「民間企業に就職するなんて、アカデミックで生き残る力がなかった敗者だ」と後輩たちに言っていた(すみません、自分も大概、嫌なやつでした)。そんな自分が民間企業への就職を真剣に考えている。私の負けだ。
  • 先輩の仕事が研究室内で再現が取れなかったが、当の自分自身、外部から研究結果の再現が取れないと名指しで否定されているのだ。当の先輩ですらそんな経験はしていない。そうです。私もそんなに研究に対して誠実でなかったのです。自分自身でもっとも大切にしていた部分すら、自分は否定されました。私の負けです。
  • 自分は前の研究室で先輩から女性経験がないこと、童貞であることを他の学生やスタッフの前でよく馬鹿にされていた。自分が好きだった女性の前でもそういうことを吹聴され、悔しさと怒りと恥ずかしさで憎悪に燃えていた。いつか見返してやると思っていたけど、結局、彼女いない歴=年齢を貫いてしまっている。「いつかあいつは魔法使いになるぞ笑」と、そう先輩に馬鹿にされていた通りに、自分は魔法使いになってしまった。30歳を超えて自分は女性1人捕まえることができない。なっさけない(最近独り言でよく自分に対して「なっさけない」と言っている)。

いや〜大敗北だ(笑)。多分、まだまだ他にもある。

でも、これらの戦いに勝つために、自分の体力、精神力の限界を超えて、自分の体に鞭打つことを自分は「やめることができた」のだ。自分は自分の体と心を大事にすることができるようになってきた。

勝つために、自分を傷つけなくてはならないのなら、自分は進んでその勝負から降りる。

だから、改めて、今高らかに宣言しよう。

私の負けだ

つづく

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