久々に優しいと言われて

先日、カウンセリングに行った。アメリカでの生活も残すところわずかとなり、カウンセリングも大詰めである。日本に帰ってもカウンセリングは続けようと思うが、アメリカの今のカウンセラーさんとは流石に疎遠になっちゃうのかな。今のカウンセラーさんは命の恩人である。細々と、これからもメッセージのやりとりはしていくのかなと思う。

自分の心は弱い。やっぱり日本に帰るのが怖くて吐きそうで、でもアメリカにずっと残るにはあまりにも寂しすぎて、八方塞がりで、時折プチパニックになることがある。でも、きっと自分は日本に帰るんだろう。うつ病を経て、30半ば、パートナーもおらず定職にもつかず、かといって企業就職したり身を固めたりする決心もつかない(贅沢な悩みだなとも時折思う)。なんとも情けない大人になってしまったなと思う。でも、一生懸命頑張りすぎてうつ病になったのだ。今後、どんな結末を迎えようとも、胸を張って生きようと思う。

カウンセリングでは色々話したのだが、何かの話のついでで、久々に友達から「優しすぎる」と言われたことを話した。

手短に話すと、友人の1人が引っ越しをすることになり、「手伝ってくれないか?」と頼まれ、それを引き受けた話なのであるが、自分はその引っ越しを手伝うために、平日に休みをとって、ベセスダから友人宅のボルティモアまで訪れたのだ。本当は土日の予定だったのだが、色々とイレギュラーがあり、平日にしか引越しできなくなってしまったらしい。

「友人の引っ越しを手伝うために平日に休みをとる」というのは確かに日本ではあまりないのかもしれないが、NIHの労働環境は結構ゆるく、ボスに正直に言っても1日くらいならすんなり休みをもらえる。その友人も友達がそんなに多いわけではないし「晩御飯奢ってくれるって言ってるし、まあしょうがないか」と思ったのだ。

そんなわけで、自分は「友人の引っ越しを手伝うために平日休みをもらってボルティモアまで1時間ほどかけて車で出かけ、3時間ほどの肉体労働をしてきた」わけだが、その話を何かの際に別の友人に話したら、

「うつなまさん、それは流石に優しすぎますよ」と言われたのだ。

「優しい」というのは自分が幼い頃から、両親から、祖父母から、小学校の先生から、友達から、色々な人から言われた自分の性質である。自分は他人から「優しい」という評価をもらえるのが非常に嬉しく、実際に人に優しくしたいという願望もあったが、「優しい」という評価を得たいがために、ちょっと無理して優しく接する部分が昔からあった。

中学に入り、思春期に入り、自分の強迫的な性格と相まって、自分の「優しさ」は「優しくなくてはならない」という義務に変わり、そして白黒思想と相まって「一回でも優しくない行動を取ると、自分は優しい人間ではなくなってしまう」という観念が、無意識のうちに自分の頭の中に巣を作っていた。

大学に入り、一人暮らしを始めてから、自分は「優しさ」について悩むことが多くなった。いくら自分が友人や好きな人に誠心誠意、100%の優しさで接したとしても、「優しい」という評価が返ってくることはおろか、ないがしろに対応されることが増えていったのだ。20代の暇さえあればマウントを取り合っているような大学生の間では、優しさという評価軸はほとんど無意味なものだったように感じる。自分は20代が苦手だった。

大学院の頃、こんなことがあった。研究室での飲み会の際に、後輩の1人が完全に酔い潰れて、記憶がぶっ飛んでいる状態で支離滅裂な言動をとっていた。その後輩はタクシーが必要な距離に住んでいて、彼が自力で家まで帰れないことは明らかだったのだが、教授や助教も含めて、誰も後輩の面倒を取りたがらなかった。

自分は彼を自分の家まで連れて行き、泊まらせてあげることにした。関西とはいえ冬の出来事だったので、後輩を外に放置するわけにいかない。自分の家はそこから徒歩圏内にあり、ワンルームの学生アパートとはいえ、後輩1人くらいなら泊めるスペースはあった。

後輩は家についても記憶が朧げだった。ベッドは一つしか無く、自分はベッドで寝て、後輩は地べたで寝かせた。吐かれたりしても嫌だったし、何より「記憶をなくした後輩を無償で介抱して、ベッドで寝かせ、自分は地べたで寝る」ということまでは自分はしたくなかったし、できなかった。

自分はこれらの慈愛の行いで、研究室のみんなから「すごく優しい」という評価を得ると思っていた。だが、翌週研究室に行くと「うつなまさん、後輩を地べたに寝かせるなんて優しくないですよ!」と当時の助教から真逆の評価を得たのだった。

「お前らが誰も面倒見ないから、仕方なく家まで後輩を連れて返ったのに、地べたに寝かせたの一点でなんで”優しくない”の評価を得なきゃならんのだ」

そんな怒りでワナワナ震えていたが、当時学生の自分は助教の評価に逆らえるはずもなく「そうですね」とその評価を受け入れるしかなかった。これは以前の研究室での何百とあるクソメモリーの一つである。

なんとなくだが、以前の研究室でそういう評価を得てしまうのもわかるのである。信じられないような競争がその研究室では行われていて、みんな長時間労働のストレスにさらされていて、誰かのアラを探すのに必死で、誰も互いに褒めあったりしなかった。加えて、なぜか女性従業員に可愛い人が多く、そういう女性の前で評価をコントロールするという意味でも、だいぶ年下である自分に「優しい」というポジティブな評価を下すわけにはいかなかったのである。

以前の研究室では、そんなクソメモリーが絶えず自分の中で生み出されて、そして自分は大いに思い悩み、そして博士一年の頃に「嫌われる勇気」を読んで、その本には自分の当時の悩みがよく反映されていて、そして自分は「優しいという評価を得るために尽力する」よりも「嫌われる勇気」を取ることを、大いなる勇気を持って選んだのだった。それ以降、自分は無理してまで人に優しくすることをやめた。「一回でも優しくない行動を取ると、自分は優しい人間ではなくなってしまう」という観念が頭にはびこっていた自分にとって、それは苦渋の決断であったが、もう自分がとっくに限界を迎えていた。

自分にとって「優しさ」とはアイデンティティーそのものだった。「優しくない」という評価を得ることが何よりも怖かった。でも、自分のエネルギーを超えてまで人に優しくしようとしていた自分はエネルギーの枯渇によりうつ病になり、そして、他の誰でもない自分に優しくなるために、「優しいというバッジ」自分の胸からを外した。。。つもりだった。。。

でも、不思議なことに、自分はそれから10年近くの間に、そんなに頻繁にではないが「優しい」と何度も言われ、そして先日ついに「優しすぎる」とまで言われたのだ。その言葉が博士一年の頃に掛けられていたら、自分はどれほど嬉しかっただろう。

今現在、「優しい」と言われることは、もちろん悪い気はしないが、飛ぶほど嬉しいかと問われるとそうでもない。何というか不思議な感覚なのである。「自分は優しくないはずなのに、なんで優しいと言われるのだろう?」と。

冷静に考えて、これは白黒思想からくる認知の歪みなのである。「1%でも優しくない部分があると、残り99%が優しくても、優しくない」という認識をしている自分に気づき、そしてそれが変だということに気づいたのは、つい最近のことである。今でもこの認知を100%脳から取り除けたわけではないと思う。

ただ、昔の自分なら、友人の引っ越しを手伝うために平日休みをとって「優しすぎる」と言われたら、「当たり前だろう」と感じていたと思うのだ。こちとら「優しさ」を専門に、それに100%の力を注いで生きていたのだ。それは外国人から「日本語ウマイデスネ」と言われてる感覚に近かっただろう。「当たり前だろう」と。

そんなことをカウンセラーさんに話したのだ。人の評価というのはその時々の状況に依存するし、なかなか適当なものだなと。そしてもちろん、優しさに100%リソースを全振りしていた20代までの自分よりも、自分としては「適当に生きているつもり」の今の30代の方が圧倒的に生きやすく、幸せなのである。

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