先月、1週間休みをもらってから、まる1ヶ月働いているが、ここ1、2週間くらい、以前の研究室でのトラウマメモリーが暴走して、ルミネーションして、仕事をしている以外はほぼ何もできず、永遠とゲームして、永遠に横になってYoutubeを見続けて、気を紛らわせている自分がいる。情けない。でも、こんな時こそ、自分は文章を書かねば。多分、それが自分が助かる唯一の道。
中学生の頃から、自分は部活内でいじめられるようになり、でもそれに耐え抜いた経験から「自分は強い」と過信するようになった。いじめられていた当時も、「もっとひどいいじめはたくさんあるし、こんなのはいじめじゃない」と状況をディスカウントしていた。でも当時、部内で「顔がでかい」と罵られ続けた経験は、ずっとトラウマ的に尾を引き、自分の中でそのコンプレックスが解きほぐれつつあるのは、30代に入った比較的最近のことである。
高校でもつらい部活動時代を過ごしたのだが、幸いそこでの経験がトラウマになることはなかった。当時は永遠の長さに感じていた部活だったが、実質的に所属していたのは高三の春までの2年くらい。そして、当時の恐ろしい先輩たちに会うことは、高校卒業後、全くなかったから、トラウマが尾を引かずに済んだ。
何より部活動は稼働している時間が少ない。授業終わりから夕方までの2時間くらいなのである(当時は永遠に感じたが)。
でも、大学院時代の研究室では、稼働時間も稼働期間も圧倒的に長かった。朝から深夜まで研究室に缶詰にされ、土日の予定も教授に把握される。プライベートと呼ばれるものがそこには一切なく、自分の人権が教授や先輩によって搾取されていた。
自分がその研究室で抱いていた感覚は「すべてが奪われる」というものだ。そして先日、自己愛性人格障害の被害にあった人が共通して「自己愛者から奪われる」という感覚を所有していることを知った。
自己愛性パーソナリティ障害の被害者が抱えるトラウマ(後遺症)
自分が繰り返しルミネーションしてしまう前の研究室での思い出というのがいくつかある。そのいずれも自分の「孤立」に結びつくものである。
以前の研究室では「自分だけが参加していない飲み会」というのがたびたびあった。それは先輩が束ねるもので、先輩は自分以外のお気に入りの後輩(実質的に自分以外の全ての人間だった)をこっそり引き連れて、金曜日の夜などに飲み会に繰り出していた。
毎日みんな夜遅くまで残っているのに、金曜日だけは7時には人がいなくなっている。残っているのは自分だけ。ということをたびたび経験した。それは自分を疑心暗鬼にさせ、「一体何が行われているのだ」と周囲の会話に聞き耳を立てるようになった。
なぜ自分以外のみんなが飲み会に出向いていることを知ったかというと、昼食時に普通にみんながその時の飲み会の話をしているからだ。当時の研究室は「仲のいい和気あいあいとした雰囲気の研究室と思われたい」という教授の魂胆のもと、学生は一緒に食堂に行くことが強く推奨されていて、実験の都合で行けなかったりすると「今日はみんなと食事に行かないの?」と教授からプレッシャーをかけられた。
だから、本当は仲良くもないし、自分の席は先輩から遠い位置に外されるし、聞こえるか聞こえないかの声で自分の悪口を言ってくるしで最悪の雰囲気だったのだが、そのような状況下で隣で平然と「自分が参加していない飲み会の話」をしているのであった。一体彼らはどういう感情なのか。サディスティックで自分を傷つけようとしているのか、それとも本当にどうでもいいと思っているのか、それもわからず、いずれにせよ人として扱われている気がしなかった。
何よりつらかったのが、先輩が引き連れるメンバーの中に、自分と仲のいい後輩も含まれていたということだ。「自分がだけが参加していない飲み会で、自分が好きな後輩たちに、一体自分のどんな悪口が吹聴されているのだろう」そんなことを永遠とルミネーションしながら(当時はルミネーションという言葉も知らないけど)、でも後輩に「え、なんか飲み会あったの?」と聞く勇気もなく、永遠に黙りながら安いラーメンを出ない食欲で無理やりすすっている自分がその食堂にはいた。
それら飲み会は教授がいなかったが、おそらく、一度だけだが「教授も参加している、自分だけが参加していない飲み会」というのがあった。とある朝、みんな遅れて研究室に来て、教授がみんなに「昨日きつかったな〜」と声をかけていたのだ。そのメンバーは本当に自分以外の全てが含まれていた感じだった。自分は「どのメンバーが参加したのか、どういう目的だったのか」が気になって気になってしょうがなかったが、誰にも聞くことができず、これは今でもあったのか、なかったのか、本当はなんだったのか、迷宮入りなのである。
もう一つ、もしかしたらこれが一番つらかったかもしれないが、教授はスタッフや学生への嫉妬心や報復心から「学生のクレジット(コピーライト)を入れない」ということを平然とやった。特に自分はこれを経験することが多かったように思う。
- 自分と後輩が考案した、実験時の工夫があったのだが、学生実習の際に、さも教授自身がそれを考案したかのように、学生たちに吹聴する。「彼らが考えてくれたんだ」と自分たちのクレジットを入れてくれることがない。
- 自分の論文を引用することが多い教授だったが、なぜか自分の論文に関しては、教授が定める「引用すべきところ」で引用されないことが多かった。
- 会話の輪に自分を入れてくれない。輪に入ろうとすると嫌な顔をされる。当時来た新しい助教が気を遣って自分をケアしてくれている感じだった。自分も参加したはずの研究室のイベントで自分以外の全ての人の名前は出すのに、自分の名前だけ出さずにそのイベントの話をする。
- オーサーシップを巧みにコントロールして、入らなくてもいい人(教授のお気に入り)がオーサーシップに入り、入ってもいいはずの人(教授の気に入らない)が入らない、ということが散見された。自分も入ってもいい部分で入らないということが一度あった。ファーストオーサーがファーストから除外されるということはなかったけど、いつか起こってもおかしくないなという感じだった。訴えられるようなことはしないけど、グレーゾーンあるいはモラルで守られるべきルールは平然と犯すタイプだった。
プライベートなものから公的なものまで、とにかく自分の名前が除外される。特にアカデミック研究なんてオーサーシップに名前が入るためにやるものだから、頑張っても名前が乗らないのなら、絶対に研究なんてしない。自分の命がけの努力が教授の権力や気分一つで無効化される。これほどつらく悲しく虚しいことはなかった。
とにかくアンフェアな人だった。自分のお気に入りはどんな悪行を行っても褒められるし、逆に気に入らない人はどんな善行を積んでも、認識されず、けなされた。典型的な自己愛性人格障害者が教授になってしまったパターンだが、自分が教授が自己愛だと気づいたのはラボを離れて、渡米して猛烈に読書をしている頃でラボを離れて2年以上たってからであった。
そんな、安心して身を置くことができない空間に6年居たせいで、自分はPTSDを経験するようになり、また「奪われる」という変な妄想をするようになった。在籍時よくしていた妄想は「不治の病にかかり病床で苦しんでいる自分を、先輩がお見舞いという名目で後輩を引き連れて、自分を嘲笑いにくる」というものや「自分が大好きな祖父母の田舎に先輩たちが押しかけてきて、美しい田舎を汚される」というものだ。これらの妄想が突拍子もないものであるということは、自分も理性では理解しているつもりだが、それでも頭の奥深くで「実際に起こりそう」と感じてしまうのが、つらいところだ。
不思議なのが、これらの妄想に教授は存在してないのだ。なんとなく教授はその集団の中にいないというのは、くっきりはっきりとイメージできる。「流石に教授はそれはしない、けど先輩はしうる」そんな非合理的な「大切なものが奪われる、自分が壊される」という観念が自分の頭の中から消えない。最近は「今のアメリカの研究室まで先輩が押しかけて、自分の悪評を広め、自分の大切なポスドク仲間を自分から奪っていく」という妄想を抱くようになってしまった。アホすぎるのは自分でもわかっているけど、繰り返すが、「でも本当に起きてしまいそう」と心のどこかで信じているのが、トラウマ由来の妄想のつらいところなのだ。
「自分は強い、中高の部活も耐え抜いた」と思っていたけど、でも、実際は想像以上に研究室での孤立に傷ついていて、トラウマにより変な妄想をルミネーションするようにまでなってしまった。
自分のできることは、「変なやつ」と思われるのを恐れずに、これらの妄想をオープンにすることだけだ。
教授にまつわる妄想は、学術関連のものだけだ。「推薦書で悪口を書かれる」「博士を剥奪される」「大切な実験ノートを捨てられる」「オーサーシップを奪われる」昔から今までこれらの妄想をよくしてきた。でもこれらは正直、自分が研究者をやめれば解決する話なのだ。
教授は親や親族もアカデミック分野で、アカデミック以外頭にない人だった。変な話だが「教授を目指していない人がこの世に存在する」ということが、理屈ではわかっていても、脳の奥底からは実感していない感じだった。研究者を目指さないという学生がいると「じゃあなんでこの学部に入ったの?」と平気で言ってしまう人だった。幼少期からアカデミックオンリーの狭い視野で育ち、なおかつその分野で大成功を収めてしまったため、自分を見直したり、反省したりという習慣がほとんど皆無な人だった。
かくいう自分にもパーソナリティーの偏りがあり、自分を強いと過信し、批判や迫害を真っ向から受け止め、逃げたり反抗したりするということができなかった。自分が今もカウンセリングに通っているのは、そういう「度がすぎたいい人」であろうとする自分を変容して、もっと生きやすく便利な自分になるためである。
それでも、5年近くカウンセリングに通っていて、状況の整理もできているのに、トラウマが消えない。永遠にルミネーションする。PTSDにより身体症状が出る。こういう状況がほとんど改善せず、「一体いつになったら終わるのか?」と絶望し、「無理した代償、うつ病の代償は想像以上にデカかった」と過去の自分を反省し、それでも「いつかこの苦しみから解放される日が来る」と一縷の希望を信じて、なけなしの体力でブログを書き、週末が終わればまた研究室に向かうのである。