テレビゲームのうつ病への治療効果について

最近テレビゲームを始めて、それがもしかしたらうつ病に効果があるんじゃないかと思い、そのことを記録しておこうと思います。

まず、前提として、自分はつい最近まで自宅で全くゲームをしていませんでした。両親がゲームに対して批判的な人で、中学3年の受験期にゲームしていたことを注意されて以来、そこから29歳までの約15年間、全くと言っていいほどゲームからは遠ざかっていました。だから今回の記事も、全てのうつ病患者に当てはまるわけではないということをあらかじめ言及しておこうと思います。もしかすると、親がゲームに関して寛容であった人や、うつ病前後で変わらずゲームをしていた人には効果があまりないかもしれません。

うつ病になったのが25歳で意識して治療し始めたのが28歳。ただ家で休んだり、週に一回スポーツをしたり、本を読んだり、アロマを買ったり、ハーブティーを飲んだり、カウンセリングに通ったり、瞑想したり、いろいろしてきました。おそらく、どれも少しずつは効果はあったのでしょうが、昨日今日でそれを感じられる「即効性」のようなものはほとんどなく、「本当に効果があるのか?」と疑いながら続けていました(今にして思えば読書とカウンセリングは確実に効果はありました。他の足掻きは未だに効果があったかどうかわからないです)。

そんな中、アメリカの職場で出会った友人の影響で「テレビゲームを始めてみようかな?」という気持ちになりました。日本にいた頃は「ゲームは仕事や成長の妨げになる悪いもの」という親の思想がいつしか自分の思想にもなってしまい、そういった娯楽を自分自身で避けるようになっていました。そして、自分の社会的地位の向上のため以外のことを排除して仕事に没頭し、数年後に案の定うつ病を発症しました。

しかし、アメリカの職場に来て、自分よりも仕事も英語も(英語は当たり前だが)できる人たちが、子供のようにゲームを楽しんでいる様子を見て、考えが見事に変わりました。「別にゲームしようがしまいが、仕事ができる人はできるし、できない人はできない。そして、彼らはちゃんとプライベートで息を抜いているからこそ、仕事での快活ですごいパフォーマンスを発揮するのだ」ということが実感として分かったのです。

それとほぼ同時期に、自分はスマブラの動画をYouTubeで見ることにハマりました。なぜなのかはわかりません。おそらくお勧めに上がってきた動画をクリックしたのが始まりだと思いますが、気づいた時にはスマブラ業界にハマり、いわゆる上位勢の対戦動画を繰り返し見て、休みの日にお酒を飲みながらウメブラなどの大規模大会を見るのが趣味になっていました。

スマブラはもともと大好きなゲームでした。しかし、母親が「残酷になってはいけない」という理由から家で格闘ゲーム(スマブラも母親の中では立派な格闘ゲームでした)をすることは禁止されていました。ソフトの購入はもちろん、友達のソフトを借りることもダメでした。しかし、自分が一番好きだったのは格闘ゲームであったのは間違いなく、そんな自分を親の前では隠しながら、格闘ゲームを持っている友達の家に通い、親には内緒でやらせてもらっていました。スマブラは当時の小中学生の間で、大流行していたゲームで、周りの友達のように思う存分スマブラで遊びたかったのですが、その願望は叶えられることなく、やがて受験期に入り、そこからは社会的成功のみが自分の目的となり、子供の頃の願望は忘れ去られてしまいました。

おそらくですが、そういう子供の頃の願望は消えることがないのだと思います。「子供は子供時代を思いっきり謳歌することで次の成長段階に行くことができるのだ」ということは「生きることと自己肯定感」の高垣忠一郎先生もおっしゃっています。そして、その願望は見事15年越しに復活し、2018年の12月の大乱闘スマッシュブラザーズSPECIALの発売日に、自分はGame Stopに並び、Nintendo Switchとスマブラ を購入したのです。

うつ病による「集中力」「闘争心」の低下がスマブラにより活性化された

実際にスマブラ をプレーし始めて、今までのうつ病治療では感じたことのない脳の変化がいくつかありました。

まず、「信じられないくらいゲームに集中できる」ということでした。当時の自分はうつ病発症前と比べて大幅に集中力が低下していて、仕事や家事などの集中がすぐ切れてしまうことが悩みの種でした。それが、ゲームに関しては信じられないくらい集中できて、特に意識することなく何時間でも連続してプレーすることができたのです。それくらい面白かったし、止めることができなかった。

これは自分に「気づき」を与えてくれました。もちろん、うつ病で集中力が低下した部分があったことは否定できないのですが、それでも自分の脳にはまだ集中力が残されていて、仕事への集中力の低下はむしろ、過去の上司からの嫌がらせなどの「トラウマ」が原因だったのかなということに気づいたのです。実際に職場は日本からアメリカに変わったのですが、仕事内容はどちらも「実験」で、実験に取り掛かると、過去の嫌な記憶が呼び起こされて、それが原因で仕事が手に付かなくなっていたのです。

もう一つの変化は長年眠っていた「闘争心」が呼び起こされた点です。スマブラでは主にオンライン対戦をやっているのですが、一対一で負けるとやはりすごく悔しいしムカつくのです。中には勝った後に煽ってくるプレイヤーなんかもいて、本当にフラストレーションが溜まります。オンライン対戦は匿名で行われるので、こういうことができるのです。そしてムカついて途中で対戦を切断したりすると、切断した側にペナルティーが与えられ、小一時間くらいプレーできなくなります。

逆にそういった煽ってくるプレイヤーや実力が拮抗したプレイヤーにどうにかこうにか勝った瞬間は本当に嬉しくて爽快で、自分の脳の中で快楽物質が大放出されるのが感じられました。これもゲームを始めるまではほとんど感じていなかった感覚です。

実際、こういった目の前の相手を「ぶちのめす」という行為は社会人になってからはほとんど不可能だと思います。上司や先輩にいくらムカつくことを言われても、されても、その感情を相手にそのままぶつけるわけにはいかず、その「怒りの感情」の処理はかなり難しいです。社会人になりたての自分は、その「怒りの感情」との向き合い方が下手すぎました。相談相手はいなかったし、それ以前に人に弱みを見せたことがなく、どうやってその怒りを表現していいかわかりませんでした。相談できる友人がいなくても、学生相談所やカウンセリングという場でそれができるということを知るのはうつ病になってからでした。

自分の場合、その極度に押さえ込んだ「怒り」の感情は、次第に「学習性無力感」になり最終的には「恐怖」に変わりました。毎日毎日、同様の怒りを感じてはため込み、最終的には「怒り」というよりは先輩や上司が「恐怖な存在」へと変わってしまったのです。最近、「ケーキの切れない非行少年」で知ったのですが、「怒り」の感情というのが最も大きく、取り扱いに注意すべきものであるということです。そして、現代社会はこの「怒りの感情」の処理が非常に難しいように感じます。自分も、未だ完璧には怒りの感情とうまく付き合うことはできていませんが、スマブラ をすることで、その解決への糸口が掴めた感じです。

うつ病による「探究心」の低下がFF7により活性化された

スマブラのような格闘ゲームでは、うつ病も相まって低下していた「闘争心」が脳の中で呼び起こされましたが、その他のゲームでは別の効果が得られました。スマブラ以外では「あつまれどうぶつの森」と「Final Fantasy VII original」をプレイしました。最近でたFF7のリメイクではなく、スイッチで安くダウンロードできるプレステ版です。趣向は違いますが、どちらも目的のために作戦を立てて、クリアしていくという点では類似していると思います。どちらのゲームも一度ハマると信じられないくらい集中できて、目的達成のために、ゲーム内の町の人に話しかけまくったり、ネットの攻略情報を元にクリアしようとしたりします。この二つのゲームで活性化されたのは「探究心」でした。これもうつ病の時は特に低下する脳機能ですが、ゲームを始めてからは寝ても覚めてもゲームをクリアすることだけが頭にあるような状態でした。こんな脳の状態は久しぶりでした。いつもは希死念慮とともに「今日も生きるのめんどくさいな〜」と感じながら目覚めるところを、「あそこどういう作戦でクリアしようかな〜」とゲームのことを考えながら目覚める自分に気がついたのです。

ゲームが人生の全てではもちろんありませんが、ゲームは人生の一部分の縮図になっていると思います。うつ病で脳のある機能が低下した場合、現実世界でいきなりそこを活性化させるのはかなり難しいですが、ゲームを通じてリハビリ的に低下した脳機能を戻すことは可能なんじゃないかと思います。

この世は善悪の彼岸

自分は「善悪の彼岸」という言葉が好きです。ニーチェの言葉のようですが、自分は単純に「人間が作り出した善悪という基準を超えたもの」という風に捉えています。

自分の母親は、自分を完璧な「善」となるように、最大限の強迫的な努力をしていました。彼女にとってはゲームは「悪」であり、格闘ゲームは子供を残忍にする「極悪」でした。しかし、男の子はそういう「乱暴」なものが好きになるようにできているのです。文明社会でわかりにくくなりましたが、長い人類の歴史で、男は狩に出かける生き物で、「優しさ」だけではこの厳しい野性の世の中を生き残ることはできませんでした。個人的にはその本質は今後も変わらないと思います。猫の子供が狩の練習を始めるように、男の子も幼稚園に入るくらいになると戦隊モノや戦いごっこが好きになるように設計されているのです。

それはつまり「善悪の彼岸」にあります。いい悪いではなく「そういうもの」なのです。そして「そういうもの」を「悪」と決めつけて、子供の中から無理やり排除しようとすると、何か「バランス」が狂ってしまい、場合によっては自分のようにうつ病になってしまったりするのです。いい悪いを超えた混沌とした人間の要素を広く認めることで、人間はよりたくましい存在になるのだと思うのです。

良くも悪くも刺激の強すぎるゲーム

一方で、ゲームにも弊害があるのは事実です。ゲーム中毒などが際たる例です。酒、タバコ、ドラッグなどと同じでテレビゲームも刺激が強すぎるのです。付き合い方を間違えると、ドラッグと同じようにゲームに人生を支配されてしまいます。

冒頭で「うつ病治療のために、アロマを買ったり、ハーブティーを飲んだり、瞑想したり、スポーツしたりしましたが、あまり効果は感じられませんでした」と書きました。しかし、自分のカウンセラーさんに言われたのは「そういったことも、効果が感じられづらいだけで、効果がなかったということではないのではないでしょうか?ゲームに比べると刺激は弱いかもしれませんが、そういう行動を続けることも大切だと思いますよ」ということでした。

自分はこの意見に大いに納得できました。よくも悪くも自分にとってゲームは刺激が強すぎたのだと思います。だからこそ、薬を飲んだかのような即効性も感じられました。しかし、それは危険性も孕んでいる諸刃の剣であり、ゲーム以外のうつ病治療は放棄せずに継続することも非常に大事だと思います。

ゲームは純粋に自分だけのための行動

受験が始まってからは、純粋に自分だけのための行動というのをほとんどしたことがなかったように思います。受験でいい高校、いい大学に受かることはもちろん自分のためでもありますが、それと同時に「親の期待」に答えることでもあります。社会人になってからもそうでした。自分の場合は研究者ですが、研究業績をあげることは「教授」や「研究室」の沽券を保つためのことでもありました。また「恋愛や結婚」ですら自分にとっては「誰かの期待」に答えるためのものであり、いつしか小学生の時に感じたような「自分だけの喜び」を感じることがなくなってしまいました。気づけば、いい成績を取ることも、いい仕事上の成果をあげることも「喜び」というよりは単なる「安堵感」に変わっていきました。「これで親を悲しませずに済む」とか「これで上司に怒られずに済む」とか、そういう思いしか沸かないようになってきました。

それが、テレビゲームだけは違いました。オンライン対戦で、煽ってくるプレイヤーを撃墜することも、FF7でセフィロスを倒すことも、それができて嬉しいのは自分だけで、親も上司も絶対に喜んではくれません。それがいいのです。そういう活動をもっと自分の中で増やしていくのです。そうすれば、脳が喜びを感じやすくなり、「アンヘドニア」という楽しいことが楽しく感じられないという、うつ病のつらい症状の緩和にも繋がると思います。

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