日本では博士号を取得した若い人が将来アカデミアで仕事に就ける割合が1割という時代になりました
NIHにはNIH金曜会という日本人研究者の集いがある。後述するがNIHにはさまざまなバックグラウンドを持つ日本人研究者が集まっている。NIH金曜会に所属するとメーリングリストに入れてもらうことができ、研究費情報、公募情報、セミナー情報など色々な情報を回してもらえる。以下のメールは2019年の2月に筆者がNIH金曜会から受け取ったメールから一部抜粋したものである。
日本では博士号を取得した若い人が将来アカデミアで仕事に就ける割合が1割という時代になりました。そのために博士号取得者の人生設計は、従来のモデルに頼った方法では難しくなってきています。CPPは、日本で就職したいと考えている研究者皆さんのキャリア支援活動をしています。このプログラムに参加すると、日頃忙しくてしているために疎かにしがちな自分自身のキャリアデザインに対して、どのように考えたらよいのか、そしてこれから何をしたらよいのかを把握することができます。
なんということだろう。日本では博士号を取得したうちの10人に1人しかアカデミックポジションに就けないらしい。このメールはCPP(合同会社シーピーピー)というところからNIH金曜会に転送されたものらしい。CPPのホームページを見る限り、どうやら博士号取得者の就職を支援しているらしいが、実態はよくわからない。しかし、CPPが開催するジョブフェアを通じて大手製薬会社の研究職への就職実績が多数ある、とされている事からしっかりした会社なのであろうとは推測できる。
このメールからの推測でしかないが、アカデミックポジション、つまり大学の教授、准教授、講師、助教のポストに対して、その10倍の博士号(Ph.D)取得者がいるということであろう(研究所のポスドクなどがここに含まれるかはわからなかった)。現在博士号を有している人やこれから博士号を取ろうとしている人は、この「Ph.D取得者の1割程度しかアカデミックポストに就くことができない」ということをよく認識しておくべきだろう。
博士号以外にも資格を取るべきか?さまざまなPh.D+α
NIHには世界中からさまざまなバックグラウンドを持った研究者が集まっている。基本的には医学系の研究室が多いが、筆者の所属している研究室は生物系であり、ボスも医師免許は持っていない。扱っている生物に関しても、例えばカエルを使って発生の研究をしたり、サルを使って行動学の研究をしたりと、一般的な医学系研究だけにとどまらず、「生物、生命とは?」という壮大な問いに対して挑んでいるようにも感じられる。もちろんNIHに所属する日本人研究者も多岐に及んでおり、筆者もこっちに来てからいろいろ驚いた。以下はこっちに来てから出会ったPh.D+αの一覧である。
- 博士号(Ph.D)+医師免許(MD)
- 博士号(Ph.D)+歯科医師免許
- 博士号(Ph.D)+薬剤師免許
- 博士号(Ph.D)+看護師免許
- 博士号(Ph.D)+理学療法士免許
お医者さんや薬剤師さんで博士号を取得して研究者としている方々の存在はアメリカに来る前から知っていたが、看護師さんや理学療法士さんでも大学で学位を取得した後に大学院に進学し、博士号を取得する人がいるというのは知らなかった。NIHで出会ったそういう方々は、基本的にフルタイムの研究者として働いており、看護師や理学療法士としては働いていなかったが、一方でそういう資格を持っているから、研究者としての職が無くなった時でも、失職のリスクは少ないだろう。お医者さんや薬剤師さんに関しても、もちろんそれは当てはまる。NIHに来てから改めて「Ph.Dしか持っていない」という危機感を感じた。
Ph.Dしか持っていないことのメリットはあるのか?
変な日本語ではあるが「Ph.Dしか持っていないことのメリット」についても、自分の留学経験の中で感じたことを書いてみようと思う。Ph.Dしか資格がないということは、逆の言い方をすれば、「それだけずっと研究活動に時間を費やしてきた」ということでもある。それは本意か不本意かはわからないが、自分もまた学部時代から今まで10年以上ずっと研究活動だけをしてきて、その中で培ってきた技術が確かにある。例えば、
- 実験技術
- 英語論文の読み書き
- 研究分野に関する豊富な知識
- 英語によるプレゼンテーション技術
- 英語による研究関連の会話
- 研究関連のソフトウェアの使い方
などである。Ph.Dしか持っていない人は、これらの技術取得に費やす時間が、その他の資格を有している人に比べて、必然的に多くなる。例えば、お医者さんで研究もしている人は通常のお医者さんとしての業務の合間に研究を行っているため、どうしても研究活動に費やす時間が短くなる。またNIHで数年間研究していても、日本帰国後は研究から離れて、完全にお医者さんとしての業務に戻るという方も多い。もちろん個人の能力差もあるため、お医者さんとしての業務もこなしつつ、研究者としても優れた業績を残すという人も中にはいるが、どうしても研究に関しては中途半端になってしまう人が多い印象も否めない。
例えば自分が出会ったお医者さんは、30半ばでNIHに留学してきたのだが、クローニングを今までで一度もやったことがなかったそうだ。正直、実験メインの研究室に所属して、プラスミドのクローニングもできないようじゃ研究らしい研究はできないと思う。クローニングに限らず、生命科学系の基本的な実験ができないというお医者さんは結構いた。逆に、医師免許を有しながら研究をバリバリやっているという人には臨床経験がほとんどないという人が多かった。国家試験で医師免許を取得した後、臨床経験を経ずにそのまま研究の道に入ったという人も割合としては少ないがそれなりにいて、そういう方々はPh.Dしか持ってない人と同様にめちゃくちゃ実験ができる。一方で、そういう方々はみんな「臨床に戻る自信がない」と言う。まあそうかもしれない。教員免許は持っているが教員として働いたことがないみたいなことだから。何事も両立するのは難しいのだろう。
まとめ
以上が自分が数年間留学してきた中で感じたことである。あくまで主観的に感じてきたことなので、間違いもあるかもしれないが、一応個人的なコミュニケーションを通じて、見聞きしてきたことなので、ある程度は正しいのじゃないかと思っている。さて、冒頭の問い、つまりPh.Dは今後どうやって生きていけばいいかと言うことだが、残念ながら(残念じゃないかもしれないが)、研究者として研究活動を一生懸命するというのが、最も現実的な手段だと思う。それをやっても、必ずしも研究者として生き残っていけるかは保証されないが、その道を選んでしまった以上はしょうがないと言うところであろう。
一方で芸は身を助けるという言葉があるように、研究者として培った技術は、他の人が取得しにくい技術でもあるので、もしその技術が必要とされれば、今後重宝されることもあるであろう。例えばつい最近COVOD-19の世界的流行によりPCR技術というのが一躍有名になったが、多くの生物分野で働いている研究者は10年以上PCRをやり続けている。幸か不幸かはわからないが、PCRに限らず今まで培ってきた技術が必要とされる日は来るのかも知れない。一方でPh.Dとして常に学び続け、少しづつでいいから新しい技術を取得していくというのも、忘れてはいけないと思う。筆者も年のせいかうつ病のせいか、ここ数年はずっと大学院までに学んだ技術をやりくりして研究を行っていて、ほとんど新しいことを学べていない。このホームページ開発も実は「何か新しい技術を身につけなくては!」という思いから始めた。他の人ができない、あるいはできる人が少ない技術は芸となる。そして才能の違いはあれど、芸の取得はそのために費やした時間に保証されるであろう。
Ph.Dしか持っていない筆者がこれから身につけていこうと考えている芸はこのホームページ作成技術と自分の思いを文章や絵として表現する技術と英語である。