1年半ほど前にNIHから日本に帰国した友人から、こんなメールが来た。
ご無沙汰しています。お元気でしょうか?
友人のメールより
こちらは鬱々とした日々を送っています。実験はしてはいるのですが、、、実験の目的や細かな手技などをきちんと伝達してもらえず、遠回りばかりしています。また、学生実験の準備等も同様に二転三転を繰り返すため、疲れきっております。正直に言うと、アメリカに残っていた方が良かったと思っています。早くここから出て行きたくてしょうがありません。
この友人の仕事はパーマネントのアカデミックポジションであり、このご時世では貴重なポジションなのだ(大学のアカデミックポジションは現在ほとんどが任期制となっている)。にも関わらず“早くここから出たくてしょうがない”のである。この文面から読み取れるのは、上司が気の利かない人なのか、はたまた、必要なことをワザと教えないタイプの意地悪な上司なのかは定かではないが、ここまで弱音を吐くと言うことは、なんとなく後者なんじゃないかと感じる。
実は、NIHから日本に帰国して、研究室でうまくいっていない友人は他にもいる。実際にもう1人の方は、NIHから帰国後の研究室の人間関係がうまくいかず、1年で別の研究室に移ってしまった。その方もまたパーマネント助教という貴重なポジションであった。
この方々は人間的には普通の人たちなのである。実際にアメリカの研究室では、英語的な難があるにも関わらず、全く問題なくやれていた。「言葉が通じないつらさと、言葉が通じすぎるつらさ」に関してはまたいつか別の機会に書こうと思う。
「研究室でうまくいかない」原因はほぼ対人関係の難しさにある。これは研究室に限らず、会社でもそうだろう。「研究そのものがうまくいかない」ということもあるが、それが原因で研究室を辞めることは稀である。自分も経験したことだが、ラボヘッド(日本の場合教授)が人格的に未成熟であるケースが圧倒的に多い。助教や准教授が変な人物であるケースも多々あるが、そういう場合は教授がフォローしてくれる場合もある。最悪なのが教授もおかしくて准教授や助教もおかしいという場合である。こんな時はもうどうしようもない。
残念ながら、アメリカにもそういう「ハズレ研究室」というのはある。実際に自分の友人でもNIHでハズレ研究室を引いてしまい、早々に帰国した人もいた。ただ、体感として、日本に比べると「ハズレ研究室」の割合がだいぶ少なく感じる。自分もそうだが、日本の研究室で苦しんだが、アメリカでは悠々自適にやっているという人が多い。
いろいろなケースがあるが、「過度な競争に教授が犯されて、研究室や自分の沽券のため、科研費、研究費のため部下を追い込み、さらにそのストレスに侵された部下がさらにその下の部下を追い込む」というケースがほとんどだと思う。だから、意外と優れた研究業績を出しているところほど「ハズレ」だったりもする。そういう環境では常に「犠牲者」が出て、「犠牲者をいじめること」に依存している。彼らは人をいじめないと生きていけないのだ。
そういう研究室では、「個人の自由」というものを平気で奪ってくる。ラボヘッドに「他者に対する共感性」というものが欠如しており、「プライベートな時間」「個人の自由な決断」や「人格」まで奪おうとし、それに従わない者を、あの手この手を使い攻撃する。教授も馬鹿ではないので、露骨な証拠が残るような攻撃手段はあまり使わない。表情や言動の微妙な変化や、また直属の部下を使って、巧妙に学生やポスドクを追い込むのだ。研究室内部では教授を中心とした「恐怖心」が生じ、怯えながら生きていかなければならない。
だから自分も日本の研究室に帰るのが怖い。日本の生活は恋しいが、日本の労働環境が怖すぎる。日本にいた時にうつ病になったし、人格が崩壊してしまいそうな、ギリギリのところにいた。このブログという表現活動も、ある種自分の人格を守るための手段である。「自分の人格のコピー」をネット上に構築し、本当の自分が失われてしまわないようにしているのだ。