論文を投稿する恐怖心にトリプルカラム法で立ち向かう!(前編)

以前の記事で、自分の論文が過去に外部の研究グループから「再現が取れない」と反論されたことを書いたが、今回は自分が論文投稿時に感じる恐怖心に立ち向かった方法をまとめてみようと思う。

研究というのは、今までにわかっていないこと、発見されていないことを解き明かしたり、発見したりすることである。つまり、論文として投稿される研究は、原則的に何かしらの「新しいこと」が含まれている必要性がある。多少、これまでの研究と被っている部分があったとしても、最低限その内容プラスアルファの何かが求められるのである。

一方で、論文として発表される内容には「再現性」というものも求められるのだ。これは、発表した内容が、他の研究者によっても同様の結果が得られるということで、つまりその研究が「嘘」ではないということである。研究というものが、これまで誰も発表したことのないものであるという前提がある以上、発表された論文が「誤り」であるということも大いに有り得る。

実際に自分自身が研究者として10年間やってきた中でも、数多くの「再現が取れない論文」というのに出会ってきた。時折、ニュースで研究の捏造が話題になるが、「再現が取れない」と言った場合、捏造ではないケースがほとんどである。

研究の業界は、「故意」には厳しいが「過失」には寛容である。捏造のように、故意に何かしらの悪事を働くことには厳しいが、何かしらの誤りで再現の取れないデータを論文に載せるのは、余程重要なデータではない限り看過されている。これが、前回の記事で書いた友人の「発生の研究論文は60%近くが再現が取れないと言われている」という発言にもつながる。

捏造とは自分がやっていない実験を故意にやったかのように見せることだ。化石の捏造などがまさにそれだろう。本来、そこに埋まっていなかったものを、さも埋まっていたかのように見せかけるのだ。

一方で、過失というのは、例えば「頭の禿げた鷲」を発見したと思い、新種の「ハゲ鷲」として論文として発表されたが、のちに既存の鷲が病気によって禿げていただけであるということが明らかになった場合などは、それが新種の「ハゲ鷲」ではなかったので、「嘘」の報告ではあるが、故意に嘘の報告をしたわけではない。実際にその研究者は本当に「禿げた新種の鷲」だと考えて論文を発表したわけである。これは捏造ではなく過失になる。

研究業界において、こういう「過失」の論文というのは撤回されることがほとんどない。というのも、その「過失」から新たなヒントが見つかるということが、これまでに幾度となくあったからである。「ハゲ鷲」の場合、「ではなぜその地域の鷲はあんなに禿げているのか?」という新たな問題提起につながり、例えば風土病であったり、食生活の違いであったりと、「ハゲ鷲」になってしまう原因が見つかるかもしれないのである。

こういう新たな問題提起も、最初に「新種の鷲だ」という誤った発表があってから始まるのである。だから研究には、「真実性、再現性」も大事なのだが、一方で、そこにこだわり過ぎて、発表に慎重になりすぎるのも意味がない。本来研究というのは、何か発表しないと始まらないものなのである。「ハゲ鷲」の場合も、それが「新種である」というのは誤りであったが、「それが禿げている」というのは事実なのである。個人的に研究において最も大切なのは、そういう「事実性」なのかなと思っている。

研究者によっては、「真実性、再現性」にこだわりすぎて、なかなか論文発表できない者もいる。石橋を叩きすぎて、何度も再現実験ばかりをやってしまうのだ。まさしく自分がそのタイプである。外部から「再現が取れない」と言われるのが怖すぎるのだ。しかし、発表しないことには始まらないし、何より再現性に強迫的になってしまうとメンタル面にも悪い。そこで、自分がうつ病寛解のために学んだ、認知行動療法を「論文投稿時の恐怖」に応用してみたのである。長くなったので、それは次の記事にする。

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