もう1年以上前の話になるが、NIHの職場で刺青をした黒人の男性秘書さんが携帯から音楽を垂れ流していて、少し厄介だった話をしようと思う。
自分が所属しているNIHの研究室の秘書さんは全部で3人いるのだが、割と頻繁に入れ替わる。日本では秘書さんと言えば女性のイメージが強いが、こちらだと半数くらいは男性なような感じがする。
ある時、坊主で、サングラスっぽい眼鏡をかけて、刺青が入っているマッチョな黒人男性が秘書の1人としてうちの研究室に配属された。見るからに話しかけ難いし、自分はもともと英語が苦手なので、大して話さなかったのだが、その彼がラボを離れた後、他のラボメンバーに話を聞いても、彼は態度が悪かったらしく評判は良くなかった。
見た目が怖くても、普通に仕事をしてくれれば特に文句はないのだが、この秘書さんは仕事中に携帯から直接音楽を垂れ流すという特徴があった。
最初はびっくりした。彼の席は自分の向かいだったのだが、最初あまりの音漏れの大きさに気になって彼の席を覗いたら、イヤホンをしておらず、携帯から直接音楽を流していたのだ。個室ではなくオープンスペースである。一応、彼なりに気を遣ってか、音量は小さめだが、携帯から直接流しているので、十分耳障りなのだ。
「これがアメリカ文化なのか」と最初は我慢していたのだが、数日間ずっと続くと流石にイライラしてきて、翌週に意を決して、彼に話しかけてみた。
自分「やあ」
彼「おぉ」
自分「申し訳ないけど、音楽切ってくれないかな」
彼「音量を下げる事はできるけど、切る事はできない」
自分「…OK」
という訳で、音量を下げるという所が妥協点となった。一応彼なりに音量は下げてくれたようだが、それでも十分鬱陶しかった。イヤホンをするという単純なことをなぜしてくれないのか不思議でしょうがなかった。
しかし、後日彼は音楽をかけなくなった。もっと上から叱られたらしい。彼は「音楽のことで迷惑をかけて申し訳なかった」と周囲の人に謝っていた。こういう時に素直に謝る人がアメリカには多いように感じる。が、なぜか自分はスルーされた。
「まあ、それはいいとしよう。とにかくこれで快適なデスクワークライフを再び過ごすことができる」と安堵できたのも束の間だった。彼は音楽を垂れ流す以外の諸事情で、約一月ほどでうちの研究室を離れたのだが、彼の代わりに着た、これもまた黒人男性の秘書が音楽問題で自分を悩ませた。
新しくきた彼は、刺青マッチョ野郎と異なり、刺青こそしていたものの、そしてコーンロウだったが、フレンドリーで優しくラボメンバーからも人気があった。
せっかく安寧の日々が送れると思った矢先、彼の席からまた耳障りな音量で音楽が聞こえてきた。
「また直接携帯から音楽垂れ流すタイプかよ、頼むからイヤホンを使ってくれ」と思って、彼の席を覗いたのだが、驚いたことに彼はイヤホンをしていたのだ。しかし、イヤホンをしているにも関わらず、前任者に匹敵するくらいの音量が自分のデスクまで聞こえてくるのだ。
「一体どんな爆音で音楽を聴いているんだ、しかも仕事中に」と驚いたが、優しいことに彼は自分の顔を読み取ってか「あ、ちょっと大きかった?」と自分から音量を下げてくれた。
それでもまだ少し聞こえたが、もう諦めた。自分は音楽をそこまで渇望したことがないので、彼らの気持ちがわからなかったが、きっと彼らは音楽がなくては生きていけないのだ。偏見で怒られるかもしれないが、音楽が止まっては生きていけないんじゃないか?と感じられるような黒人の人たちに、アメリカに来てから何人か会ってきたのだ。
彼はフレンドリーだったから、自分の中でも音楽問題は許容していたのだが、その彼も一月足らずで研究室を離れた。彼もまた音楽問題以外の問題を起こしたらしい。本当に謎である。
その後、すぐコロナ禍に入り、自分の向かいの席は未だに空白である。今度は一体どんな人が入るのだろうか。不安である。