自分が出会ってきた女性の中で、今でも忘れられない人が2人いる。1人は大学生の時に初めて好きになった女性で、以前のブログにも書いた、夢に出てきた人だ。もう1人は、高校生の頃に好きだった女性だ。Sさんという人だった。
Sさんは自分が出会ってきた中で「最もモテた女性」なのだ。「最もかわいい人」とか「最も美人な人」とか「最もスタイルの良い人」など、容姿のレベルで彼女を上回る人はたくさん見てきたが、「モテる」という一点においては彼女が間違いなく一番だった。それくらい、Sさんの周りの男性は皆、もちろん自分も含めて、彼女にすぐに惚れていた。
それでいて、彼女は同性からも好かれていたのだ。男性にガツガツしすぎず、同性異性問わず誰にも優しく接して反感を買わず、それでいて出会う男性を次々に好きにさせる、ある意味で最強の女性だったのかもしれない。
Sさんはちょうどいい可愛さだった。芸能人になれる程ではないけど、それでいてすごく可愛い。例えるなら、はいだしょうこをもっと薄くした感じだ。「もしかすると自分でも手が届くかも」とみんなから思われるような、そんな感じ。高嶺過ぎないから、みんなが手を伸ばして取ろうとするけど、決して取れない絶妙な位置に咲いている花だった。
個人的に、モテる人というのは「この人は自分だけのことが好きなんじゃないか?」と多くの人に思わせることができる人だと思う。あからさまな愛嬌を振り舞っていたら「あの人はみんなに好きって言っている」とすぐバレてしまうが、かといってノーアクションだと何も起こらない。「あれ、これって自分に気があるのかな?」という微かなヒントをたくさんの人に与える、そういったことをSさんは高校生の頃から本能的にやっていたんだと思う。
ちなみに自分のこの着想は、伊集院光さんのこの発言からきている。
伊集院光は松本を「松本さんの凄いところは、“松本人志の本当の面白さがわかるのは俺だけだな”とみんなに思わせる事ができるところ。だから視聴率30%とか取れるんですよ」と評している。
もう一つ、自分がSさんから学んだモテるためのヒントは「自分の分を弁える」ということだ。Sさんはモテモテだったが、「学年1のイケメン」みたいな人にはあまり愛嬌を振り舞っていなかった。そういう所と勝負しようとすると、いくらSさんといえど、失敗する可能性も高いし、学年の女番長的な人からも目をつけられて面倒くさい。なんというか無駄な勝負はしないような感じだった。
中高生の頃は「学年1のイケメン」は「学年1の美女」とのみ付き合う許可が与えられている感じだった。学年1のイケメンと学年1の美女を中心としたスクールカーストが存在し、その取り巻きが、そのカーストに属さない者たちの侵入を許さない。彼らはカーストトップだが、取り巻きが周囲の侵入を除外してしまうので、決して多くの人からはモテないのだ。セカンドカースト以下は、そもそもトップに手を出そうとしない。
Sさんはトップカーストには所属していなかったし、トップカーストには手を出そうとしなかった。でもそのおかげで、トップ2以下のカーストの男性にたくさん声をかけ、そこらへんの男性をガサッと、濡れ手で粟のごとく好きにさせてしまうのだった。
かく言う自分もその粟の一粒だった。自分とSさんの出会いは、高校3年の頃に通い始めた学習塾だった。当時の自分は部活動内の対人関係でうまくいかなかったり、周りの友人はほぼ全員携帯を持っているのに家計の都合で3年生の途中まで携帯が持てなかったりと、正直、不遇の時代を送っていた。自分にとって中学高校は自衛隊に入っているかの如く、禁欲的でストレスの多い時代だった。
高校3年の夏にやっとつらい部活が終わり、携帯も持たせてもらえるようになり、残すところは半年だったが、自分なりの青春を送ることができそうだった。
Sさんに出会ったのはその頃だった。正直、きっかけは覚えていないが、通っていた学習塾で妙にSさんの視線を感じたの覚えている。多分、当時の自分は、自分から話しかけることはできなかっただろう。多分、最初はSさんから話しかけてくれたのだ。
Sさんの周りには、常に自分の男友達が2人いた。間違いなく、彼らもSさんのことが好きだった。自分にもプライドのようなものが存在して、彼らのようにSさんの周りをくっついて回るようなことはしたくなかったのだが、気づいた時にはSさんについてまわる3人目になっていた。それくらいすぐに好きになって、毎日学習塾に通うのが楽しみで仕方がなかった。
受験が終わってSさんとは離れ離れになった。Sさんは地元のトップの大学に合格し、自分は2ランクくらい下がる別の大学に通うことになった。Sさんはめちゃくちゃ勉強もできる人だった。その辺りで、自分の片思いも終わりかなと思ったのだが、大学に入学してからSさんから連絡があった。
大学2年の時にSさんと2人で会うことになった。2人でサイゼリアに行って、近況を話し合った。Sさんはテニスサークルに所属していて、苦手なお酒をたくさん飲んでいるとのことだった。元気そうだったが、少し物寂しそうな感じがした。
そして、その後カラオケに行ったのを覚えている。自分にとっては人生初のカラオケだったのではないだろうか。Sさんはカラオケもうまかった。食事からカラオケから何もかもがSさんリードで、自分は歌も全く下手だし、話していてもトイレにばかり立っていて、自分で自分が心底情けなかった。そして、それから現在に至るまで、Sさんとは一度も会っていない。
それ以来、Sさんから連絡が来なくなってしまったのだ。そして、自分自身「このままじゃダメだ」と漠然と思い、Sさんと繋がるためのツールであったMixiからも脱退した。
Sさんが自分と会った時に何を思ったのかは未だにわからないけど、なんとなく自分に告白させたかったのかな?と思っている。Sさんは当時Mixi内で流行っていたバトン内で「今まで告白された人数」と言う質問に対して「20人くらい」と答えていた。20歳でである。自分も告白してみようかな?とは思ったものの、なんとなく、その中の1人になるになるというのが、プライド的に許されなくて、Sさんに対して何の思いを伝えることのないまま、交流が終わってしまった。
でも、今になって「あの時に告白しておけばよかったな」と後悔しているのだ。フラれるのはわかっているけど、記念受験みたいなものである。それくらいSさんのことが、それからもずっと忘れられなかった。
約10年前に会えなくなってから、自分はSさんのFacebookのアカウントを、友達申請せずに、ずっとチェックし続けている。友達でないから、見れるのはホーム画面の写真だけなのだが、それでも今になってもチェックするのがやめられない。その10年の間に、他の女性のことも好きになったのだが、FacebookをこそこそチェックしているのはSさんだけだ。それだけ未だにSさんに固執している。こんなことなら、意地になってMixiを退会しなければよかったと心底後悔しているが、当時はまだ未熟で意地になるという方法しか知らなかったのだ。
昨年、Sさんは結婚してTさんになった。Facebookのホーム画面に写っている旦那はジャニーズに確実に入れそうなイケメンだった。その写真の下のコメントでは、自分に似た「中の下の男友達」がたくさん「おめでとう」コメントを寄せていた。FacebookでSさんの名前を検索すると、その「中の下達」とグループ旅行している写真がたくさんヒットする。きっと彼らもSさんに花粉を撒かれて、Sさんのことが好きだったのだろう。Sさんは「天性の中の下キラー」なのだ。絶対に彼らも告白したに違いない。
「中の下キラー」のSさんだったが、最後は絶世のイケメンを手にする。恨まれそうだが、自分も含めて、Sさんにそういう感情を抱く人はいないと思う。それくらい、Sさんは心根が優しかった。
Sさんは高校生の頃から「自分から愛を与えられる人間」だったのだ。それは現在の自分の理想像の一つでもあり、自分が30過ぎてからようやく少しずつ挑戦していることなのだ。それをSさんは高校の頃には完璧にできていた。そういう「憧れ」も自分がSさんを好きになった要因の一つだったのかもしれない。
こんなことがあった。塾の男友達で自分と同じくSさんを好きだった人がいたのだが(Sさんのについて回っていた内の1人)、彼はSさんと同じくトップの大学を目指していたのだが、残念ながら落ちてしまった。一浪して、再び同じ大学に挑戦した時、自分は彼の合否が非常に気になったのだが、怖くて彼にメールすることができなかった。
Sさんと再開した時、その話をしたのだが、Sさんは合格発表のその日に彼に合否を確認したそうだ。残念ながら彼は再び落ちてしまって、Sさんも非常に残念がっていたが、自分としてはそれよりも、大学の合否という、相手の弱い部分にちゃんと踏み込めるSさんの性格に感銘を受けたのだった。
最近のカウンセリングで学習したのだが、こういう相手が弱っていそうな時に、自分からその人に声をかけられるのは非常に愛に溢れた行為なのだ。普通の人は中々できないらしい。
例えば、誰か親しい人を亡くした人は、自分からどんどん人が離れていってしまうように感じることが多々あるそうだが、これは実際に周囲の人がその人に気をつかってしまい、その人に連絡しなくなってしまうからだそうだ。人間というのは基本的に元気な人に寄っていく。ネガティブな面に浸ると自分がナーバスになる可能性が非常に高い。
実際に自分が彼に合否確認のための連絡をしなかったのも「彼を傷つけやしないだろうか?」「無神経なやつだと思われないだろうか?」など「相手の弱い部分に踏み込むことで、自分が傷つきたくない、ショックを受けたくない」という保身も確実にあったのだ。Sさんは10年以上前から、そういう意味で達観していたのか、弱っているかもしれない相手に自分から近づくことができた。自分は10年遅れで、Sさんの後を追っているのだ。
うつ病になってから、新しい恋愛に挑戦することができなくなり、それと反比例して、SさんのFacebookの写真をチェックする頻度も増えた。もしFacebookがMixiみたいに足跡機能が付いていたら、多分とんでもないくらい自分の足跡が付いていただろう。でも、それはそれだけ、新しい女性に出会っていないことの裏返しでもある。
SさんもTさんになったし、自分ももうそろそろ、新たな出会いに挑戦しなければならない時なのかもしれない。そして、Sさんを心の師匠として、自分も自分から他者に愛を与えられる主体的な人間になりたいと思うのだ。