アメリカのアウトレットで感じた孤独感

先日、アウトレットに服を買いに行った時、ふとアメリカのアウトレットに行った時のことを思い出した。

自分が住んでいたメリーランド近郊にはアウトレットが複数あり、Montgomery Mall、Clarksburg Premium Outlets、Tysons Corner、Lakeforest Mallに行ったことがある。特にMontgomery Mallは一番近所だったこともあり、よく通っていた。Apple Storeがあって便利で、帰国前にパソコンと携帯をそこで買った。映画館もあって、一度だけ友人らと映画を見に行ったことがある。

大抵は一人で、誰かのプレゼントを買いに行ったり、服や靴を買いに行ったりしていた。そんな時、買い物に来ている家族やカップルを見ては、不思議な、海外生活特有の孤独感を感じていた。

恋人や家族がいなくて寂しいというのではなく、何というか、「ここは自分の住む土地ではない」みたいなそんな漠然とした感覚である。

アメリカだと、目の前の見知らぬ人がどんな人たちなのか、全くイメージがつかない。日本でもそうだろと思うかもしれないが、ところが、これが日本だと、ある程度イメージがつくのである。

日本だと、まず見た目を見て、出身大学や学歴とか仕事内容を聞けば、その人がどういう親のもとどういう幼少期を過ごし、どういう学校生活を送り、どういう社会生活を送っているか、ある程度イメージできてしまうのだ。容姿端麗なOLだと学生時代はイケイケのグループに所属して、中くらいの大学に入学して地元企業に就職したんだなとか。東大出身とか聞くと、相当教育に力を入れた家庭で小さい頃から塾に通って中学受験もしたんだなとか。もちろん例外もたくさんあるのは承知しているが、ある程度は想像ができる、あるいは想像できた気になれる。

これがアメリカだと、全く想像ができないのだ。ハーバード大学とかは別として、出身大学を聞いても、メリーランド大学とか、それがどれくらいのレベルかわからないし、見た目からも、その人がどういう生活を経てきたのか、普段どんなものを食べているのか、全く想像ができない。

一体どのタイプがスクールカーストの上位にいたのだろうか。日本みたいな学習塾ってそもそもあるんだろうか。どの程度の大学に通えばいい企業に就職できるんだろうか。そもそもどれがいい企業なんだ。

彼らの全てがわからなかった。

そんな漠然とした不安感を一人でアウトレットに来て自分以外の人たちを観察しているときに如実に感じ、アメリカに永住するという決断をとる勇気を削いだ。日本に帰りたい。日本に帰ろう、と。

日本のアウトレットで買い物をしていてもそんなことは感じない。見た目では学歴はわからないが、それでも、何となく目の前の人がどういう人かはわかる。ヤンキーぽい人、オタクっぽい人、普通な人。

人間は無意識下に色々なつながりを他者に感じているのだと思う。そういうつながりのセンサーみたいなのが、アメリカのアウトレットですれ違う人からは感じづらかった。

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