うつ病寛解に取り組む上で、知っておくべき言葉がある。それは「アンヘドニア(anhedonia)」。変な名前だが、うつ病を理解する上で非常に重要な概念である。
何かというと、楽しさとか嬉しさとか快楽とか達成感とか、ポジティブな感情を感じづらくなっている状態を「アンヘドニア」という。自分が初めてアンヘドニアという言葉に出会ったのは、伝説的な認知行動療法の超絶良書、「〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法 」の中である。
手元の本では88ページにアンヘドニアという言葉が出てくる。「第五章の虚無主義:いかにして克服するか」の中にこのような文がある。
「アンヘドニアanhedonia」は、満足や快感を味わう能力が減じた状態を意味する専門用語です。
〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法
また、ネット上にもいくつかアンヘドニアに関する記事が落ちているので、そちらも。
アンヘドニアとは、ポジティブ感情の低下、意欲の減退、報酬に対する感受性の低下、喜びの喪失などといわれているものです。
楽しさの味覚障害
例えるなら、「楽しさの味覚障害」のような感じだ。味覚障害では、食べのもの味が感じづらくなる。でも、消して食べ物から味がなくなったわけではなく、自分の舌が故障して、味を感じづらくなっている。それと同じく、アンヘドニアでは「楽しさや満足感、達成感などの快感」を脳が感じづらくなって、決して、物事そのものから楽しさが消失したわけではない。
例えば、アンヘドニアを患っている人を想像しよう。その人はボーリングが趣味なのだが、近頃ボーリングをやっても全く楽しくない。その人は「ボーリングが楽しくなくなった」と感じると思うが、そうではなく、「ボーリングの楽しさを脳が感じなくなった」というのが正しいのである。原因はボーリングでなくあなたの脳にある。ボーリングの楽しさは依然としてそこに存在しており、ただ脳が楽しさの味を感じられなくなっているのだ。
アンヘドニアという言葉は用いられていないが、かの有名な「夜と霧」で類似した場面が描かれている。この本は第二次世界大戦中のナチスによる収容所内でのユダヤ人の迫害が描かれているのだが、戦争が終わり、収容所という過酷な環境を生き延びたごく少数の人が、収容所から数年ぶりに出ることができた。しかし、あれほど憧れた自由を手にしたはずなのに、不思議なことに、そこには喜びの感情がない。そして、その夜、収容所にいた、ある1人が別の仲間に尋ねる。
「なあ、ちょっと訊くけど、きょうはうれしかったか?」
夜と霧
すると、訊かれた方はばつが悪そうに、というのは、みんなが同じように感じているとは知らないからだが、答える。
「はっきり言って、うれしいというのではなかったんだよね」
わたしたちは、まさにうれしいということはどういうことか、忘れていた。それは、もう一度学びなおさなければならないなにかになってしまっていた。
「夜と霧」ではナチスの強制収容所という、現代日本からは信じられないような空間が描かれているが、そこで行われていたことと類似するようなことは現代日本でも行われている。だからこそ、これだけうつ病の人を、再起不能の人間を日本社会は生み出してしまうのだ。
アンヘドニアという言葉を知っておくことは、非常に大事である。もし、何をやっても楽しくない時、アンヘドニアという言葉を知らないと「なんで何をやっても楽しくないんだろう。何かおかしいのかな」と焦って混乱するが、アンヘドニアという言葉を知っているだけで、「ああ、自分は今アンヘドニアなんだ。だから楽しさを感じづらいんだ」と置かれている状況を一言で整理できる。メンタルヘルス的にもアンヘドニアという言葉を知っているということは非常に大事なのだ。
達成感の喪失
自分もアンヘドニアという言葉を学んでから、自分のうつ病の状況が俯瞰的に理解できて、すごくスッキリした。自分のアンヘドニアには「達成感の喪失」も伴っていた。元々、趣味のほとんどない仕事人間だったのだが、仕事(自分の場合は研究)で結果を残した時に、唯一「達成感」という喜びを感じることができ、それを糧に生きていた。
しかし、うつ病発症以降は、大きな仕事を終えても達成感という喜びを感じることができなくなってしまった。あるのは「これで上司に怒られずに済む」とか「これで親を悲しませなくて済む」とか、そういう安堵感だけだった。昇給することとかキャリアアップすることに全く希望を感じられなくなってしまった。仮に自分が教授とか、そういう偉い役職についている姿を想像しても、全くウキウキしないのだ。そうなると、なんのために仕事をするのかもわからない。
個人的にアンヘドニアは「詰み」の状況だと思っている。例えば、うつ病の人を助けようと思って「何か、好きな、楽しいことに没頭してみたら?」と勧めてみても、アンヘドニアを患っていた場合、そもそも楽しみを感じられないのだ。味覚障害の人に美味しい食べ物を勧めているようなものである。うつ病でアンヘドニアまで患ってしまうと、中々治療が難しいと思う。学べば学ぶほど、うつ病は「なってはいけない病気」なのだ。治療が本当に難しく、「脳が器用な人」でないと中々治せない。
なぜアンヘドニアになったか
自分がアンヘドニアを患ってしまったのは、「遊んだり、楽しんだりすることは、悪いこと、ダメなこと」という認知の歪みがあったからだ。
中学3年生の受験に入ってから、母親にも余裕がなくなってきて、自分が遊んでいると不機嫌になるようになった。気づけば、自分も意地になって、自分から遊ばないようになってしまった。そして、ずっとそれが正しいことだと思ってやってきた。大学入学以降は、親の監視も外れて、いくらでも遊んで良かったはずなのに、あまり遊んだという記憶がない。「一生懸命。勉強すべき、弛んだ人間であってはならない。毅然とした人間であらねばならない」そんな「ネバネバベキベキ思考」で頭が一杯の、非常にもったいない思春期だった。
研究室に配属以降は、遊ばずに研究をしていたら周りから褒められたので、その傾向に拍車がかかった。自分には研究者になりたいという夢もあったし、研究に没頭するしかなかった。それが自分の望むものだと思い込んでいた。
気づいた時には脳が楽しさの感じ方を忘れていた。どうやって遊ぶのかわからなくなっていた。使わない機能はどんどん退化していく。それは脳機能に関してもそうで、「楽しむ」とかそんな当たり前のように備わっていそうな機能でも、長い間、ずーっと楽しまないと、楽しさを感じる脳機能が退化してしまうのだ。
うつ病の急性期は希死念慮や絶望感や焦燥感の方が圧倒的にきつくて、楽しいという感情や、達成感が喪失していることには気が付かなかった。アンヘドニアに気がついたのは、急性期が過ぎ、絶望感と焦燥感が和らいできた発症から2年目以降であった。
どうやってアンヘドニアが寛解したか
今は楽しさを感じられるようになってきた。達成感も少しずつ感じるようになってきている。
アンヘドニアの寛解の方法というのは中々難しい。自分としては、アメリカに留学してから、ストレスフリーで、とにかく休めたというのが一番大きいと思う。
アメリカの職場で、働きながらも、精神的に休みことができたのだ。日本にいる時に比べると、言葉が通じない分、干渉されることが圧倒的に少なくなった。自分に対して英語で皮肉なことを言おうと思っても、自分はそもそも何を言われたか理解できない。アメリカのNIHという職場がいかに自分にとって楽な環境であったかということは別の機会に書こうと思う。
もう一つは「楽しい」と感じられることに、素直に従い始めたということだ。アンヘドニアの人は「楽しい」という感情があっても、それがすごく小さくて、一瞬で消えてしまう。その「すぐ消える楽しさ」をしっかりと逃さないように捕まえて、水をかけ肥料を与えて育てていく。自分の脳内の「楽しい!」という感情を大きく育んでいく感じだ。
自分にとって、楽しさを感じさせるものは、子供の頃に「悪」と教えられてきたテレビゲームだった。これをやっている時に脳が「楽しい!」という感情を思い出してくれた。そして、ラスボスを倒したり、大きな壁を超えたりする過程で「やった!」という「達成感」も徐々に思い出してきた。
アンヘドニアになっても、「楽しさや達成感」が消失したわけではないと思う。脳がそれらの感じ方を一時的に忘れているのだ。「夜と霧」で書いてあるように。アンヘドニアから脱却するためには、ストレスフリーの環境で、これらの感情を少しずつ脳に思い出させてあげることが大切だ。