自分の病の正体は複雑性PTSDであった
先日、渡邉渚さんの「透明を満たす」を読んで感想をブログで書いた。
それから自分でもちょくちょくPTSDに関する書物や記事というのを調べている過程で、どうも自分は単なるPTSDというよりは「複雑性PTSD」に該当するのではないかと思い始めた。一つの大きなストレスというよりは、長期的な逃れられないストレスに晒され続けることで、ある日限界を超え、身体症状が現れる恐怖反応を経験するようになる。
以前のブログにも書いたが、長谷川豊さんの言うように、PTSDに焦点を当てて書かれた本というのはうつ病の本に比べて少なく、猛烈な読書期にあった自分でもPTSD専門の本はノータッチで、複雑性PTSDという単語も見たことあるかな?という程度で、その意味を深く調べようとはしなかった。
最近いくつかの複雑性PTSDにまつわる本を買ってみたのだが、その中でKindleで購入可能で、パーソナリティ障害の本で大変お世話になった岡田尊司先生の本をとりあえず読了してみた。これまで会ったこともないたくさんの著者に人生を命を救われてきたが、岡田尊司先生は間違いなくそのうちの一人である。
愛着障害と複雑性PTSD 生きづらさと心の傷をのりこえる (SB新書 667) 岡田尊司
この本は愛着障害からくる複雑性PTSDについて主に議論されているのだが、「親と子」の病的な関係性というのを、自分が経験した「教授と学生」の病的な支配的な関係性というものにそっくり置き換えることができた。
この本が出版されたのは2024年9月7日で数ヶ月前のことなのである。自分はしばしば、自分にとって必要な本にタイムリーに出会うということを経験する。自分は恵まれている。
ただ、単回性PTSD(一般的に認識されているPTSD)に対して、複雑性PTSDという概念が認められるようになってきたのは比較的最近の話で、診断名として用いられるようになったのは2022年の1月かららしい。自分が複雑性PTSDを発症したのは2015年の5月だったので、その頃ではまだ診断がおりなかったのだ。
本の中で「希死念慮」という言葉が頻繁に用いられているが、まさしく希死念慮こそ自分が長年苦しんでたものなのであるが、意外にもうつ病の本にはあまり希死念慮という言葉が出てこなかった記憶がある。「肩こり」と同じく「希死念慮」も複雑性PTSDに特徴付けられる典型的な症状なのではないかと考えられる。最近になって両親と同居することで希死念慮はだいぶ影を潜めてきたが、ずっと苦しかった(苦しいなんて生易しいものでもない)。自分が希死念慮に苦しめられた期間は10年弱ということになるが、ヘルマンヘッセは若い頃から50歳くらいまで苦しめられたようだ。そのことが自分を少しホッとさせた。自分より苦しんだ人が過去にいたんだと。
誰かの失敗した人生というのは必ず誰かの心を慰めている。
急ぎ足ではあるが、読んだばかりの忘れないうちに、自分にとって大切だった部分をまとめてしまおう。
複雑性PTSDでは、一回の出来事は軽微でも、それが、逃れられない状況で、長期にわたり繰り返されていることが重視される。
トラウマからの回復がより難しいのは、ストレス耐性の限界を超えて、不可逆的ともいえる変化が、無意識的、身体的レベルでも起きているためである
トラウマが長引きやすい人は、反撃や抵抗が許されない状況に置かれた人だ
この部分は自分が複雑性PTSDを患った状況を端的に表している。一つ一つのダメージは耐えうるものなのだが、それが繰り返し長期間行われることで、ある時我慢の限界を超えて、不可逆的な身体症状を誘発してしまう。自分の場合、学部生から博士卒のおよそ6年間もの間、教授と自分との間で全体主義的な支配的な関係性が続いた。またその間に境界性パーソナリティ障害を持つMちゃんの家庭にも行動が縛られて、逃れられることができず、自分のパーソナリティがどんどん限定的なものに制約されていった。
安全基地とは、ただ安全というだけでなく、その人の主体的な意思が守られてはじめて、本当の安全基地だといえる。つまり、言い返したり、反抗したりすることが許されるということだ。ノーと言えるということである。複雑性PTSDからの回復への最初の出発点は「安全基地」が確保されること
できれば安全基地と呼べるような研究室に就職したかったのだが、現時点でそうとは言えない感じである。結局自分は、就職先を選ぶにあたり、研究室の雰囲気よりも研究テーマを優先させてしまった。ただ、日本に戻ってきてから実家が安全基地と呼べる感じになってきたし、アメリカでのカウンセラーさんともオンラインで繋がっているので、不完全にせよある程度の安全基地は確保できているのでないかと思う。何よりアメリカの研究室はまさしく安全基地と呼べるものであった。距離は離れているが、研究面でも心理的安全基地はある程度保たれていると信じたい。
複雑性PTSDでは有効性や安全性が裏付けられ、確立された治療法は存在しない。診断基準ができたのが比較的最近で、効果を実証した研究がほとんどないという事情もあるが、通常のPTSDより改善が難しく、一筋縄ではいかないという事情がある。改善を難しくしている要因の一つは、トラウマ状況が過去の終わった出来事ではなく、今も続いており、現在進行形だということが挙げられる
愛着障害がベースにある複雑性PTSDの場合には10年以上にわたる、数限りない大小のトラウマが積み重なっているというのがほとんどなので、取り除くというよりも、濁った液体を静かに置いておくと濁りのない上澄みができるように、靄が晴れて、心の視界がよくなると言った方がいいだろう。
この部分でがっかりもしたが、少しホッとした部分もある。自分は決して簡単な病に苦しんでいたわけではなく、むしろいまだに治療法が確立されていない病におかされているのであると。自分も治療法の開発に取り組む人間の一人なのであると。
不安定型の人では、右脳の活動が左脳に比べて優位
もしかすると自分が右半身の体の不調を感じてきたことと、右脳が優位に活動していることは何か関連があるのではないかと思った。
トラウマの克服がゴールではない。たとえトラウマを抱えていようと、人生を取り戻し、自分らしく生きることはできる。トラウマを完全に解消しようとは思わないことだ。トラウマの克服とは過去を取り戻すことでなく、未来を取り戻すことである。トラウマを克服するということはそのことにとらわれずに、本来の自分の進むべき道に進めるという状態である
10年弱、トラウマに起因するPTSD症状に苦しめられてきた自分だが、その間も働き続け、研究業績を残すことができ、人と関わり続け、遊び続けて、なんだかんだで、トラウマを克服できている状態とも言えるのかなと感じた。ディスアドバンテージを負いながらも、自分は自分にできるベストをやってこれていたのだと、安心できた。
事実に向き合うことは大事だが、本人のタイミングを守ることも大切
この言葉も、現在、実家からなかなか出ることができない自分を安心させてくれた。自分のペースで、できる時がくればすればいいと。
フラッシュバックだけに限らず、複雑性PTSDでは些細なきっかけで、強い情動反応が起きやすい。それは正確にはフラッシュバックではないが、過去の状況が現在の状況に重なり、再現してしまっているという点で、似たことが起きている。
最近自分がしばしば過覚醒して寝れなくなってしまう現象は正しくこれである。
人間的にも欠陥のある人たちから植え付けられた不当な評価に縛られつづけていることほど、理不尽なことはない。そのことが腹立たしく思えるようになって、その呪縛は少しずつ解け始める。自分を責めたり自分を恥じたりする必要はみじんもないということ、不当なことをしたのはあの人たちの方だということを、怒りの感情と共に、はっきりと認識することがとても重要である。
恐怖を乗り越える最も手っ取り早く効果的な方法は反撃であり、自分を虐げてきた相手を屈服させることである。「悪かった」と許しを請わせることである
最近になって、自分もトラウマの克服方法として「トラウマ元から逃げ切る」という選択肢以外に「トラウマ元に勝つ」という選択肢があることに気が付いた。一つの選択肢として意識しておこうと思う。
複雑性PTSDについて一般的な説明として学ぶことを「心理教育」という。本書のような本で何が起きているか、どう対処していけばいいかを学ぶことも心理教育である。名前もない得体のしれないものと戦うことほど、困難なことはないからだ。
これも今まで読書を通じて実践してこれた。
トラウマを受けた人が救われる方法の一つとして、傷ついた記憶を他者に還元し、自分と同じ傷を負った人を助けるというものがる。そしてその時にその人自身も癒されているのだ。これを「生存者使命(サバイバーミッション)」と呼ぶ。それは生易しい道ではないが、こうした試練を生き抜いた人にしか成し遂げられない偉業である
サバイバーミッションという言葉が印象的だった。奇しくも、自分もブログ活動を通じて、他者に自分の苦しい経験を伝えようと、本能的にサバイバーミッションをしてきたのだと思う。今後も継続していこうと思う。