怖さの八方塞がり

自分が複雑性PTSDであることに気がついてから、ちょくちょくそれ関連の本を買ったりして情報収集している。

自分が複雑性PTSDであると気がついたきっかけは、先日のブログにも書いた通り、長谷川豊さんのツイートだったと思う。

【読書感想文】「透明を満たす」を読んで

流れとしては、

  1. 長谷川さんのツイートがきっかけで、うつ病の本は多いが、PTSDの本は少ないと気づく。
  2. 自分もPTSD様症状を持っていることは随分前から自覚していたので、PTSDの本を調べてみようという気になる。
  3. 調べていると、複雑性PTSDという単語に出会う。この単語そのものは見たことはあったが、なんとなく、PTSDのややこしいバージョンかなと思い、特にこれに関して調べようとは今までしてこなかった。
  4. 調べてみると、いじめや虐待を含む長期的な支配にさらされることによって誘発されるタイプのPTSDで、自分が経験したことそのものであると気が付く。

という感じだ。もっと早く複雑性PTSDという概念に気づいていれば、もう少し違うアプローチが取れたのかもしれないのだが、自分が複雑性PTSDを発症したのが2015年の5月なので、そこまでほぼ10年かかった。

気がつくのが遅れた要因は大きく二つあり、一つは自分が猛烈に読書してメンタルヘルスのあれこれをリサーチしていた頃は複雑性PTSDという概念がそれほど浸透しておらず、いろいろな書籍を読み漁っても複雑性PTSDという単語に遭遇しなかったか、かなり頻度が稀であった点だ。実際に複雑性PTSDが診断名として認められるようになったのは2022年からで自分の猛烈な読書期である2017~2019年より後のことなのである。複雑性PTSDがタイトルに含まれる本を調べても、出版が最近のものがほとんどである。

個人的に通常のPTSD(単回性PTSD)と複雑性PTSDを区別し、認識することは非常に大切であると思う。なぜならば、複雑性PTSDを持つ人は戦争やレイプといった、いわゆる一撃必殺的なストレスは経験していないため、PTSD的な症状を経験して、PTSDに関して調べてみても、原因に該当しないことが多く、「まあ、ちょっとしたいじめみたいなことでもPTSDっぽくなっちゃうこともあるんだな」と思うだけで、それ以上調べようとはしなくなる。自分のPTSD的なものは本格的なPTSDを患う人より軽度なもので、そんなに苦しむのは彼らに対して申し訳ない、自分のは大した問題じゃないと、問題をディスカウントしてしまう。自分がまさしくそうであった。

だが実際のところ、症状の持続性としては複雑性PTSDも厄介であることが知られており、いまだ有効な治療法も確立されていないらしい。自分が抱えていた症状というのは決して「大したことない」症状ではなかったわけだ。だからこそ、症状に対して正しいアプローチを取るために、複雑性PTSDという概念がより浸透する必要性があると思う。詳しくはぜひ、岡田尊司先生の著書を読んでほしい。

【読書感想文】「愛着障害と複雑性PTSD 生きづらさと心の傷をのりこえる」を読んで

複雑性PTSDに気づくのが遅れたもう一つの要因は、自分がアメリカに長期間留学している間、PTSDを誘発する原因となった、学生時代に所属していた研究室と距離が離れ、PTSD症状を経験することが極めて稀であったからだ。アメリカにいる間、自分は恐怖対象から逃げ続けることができ、快適な留学生活を送ることができた。

もちろん、それそのものは良かったのだが、複雑性PTSDに関しても恐怖に曝露されるということが回復のアプローチとして大事だったりして、その余裕があった時にも、曝露という意識を全く持たず、ただ逃げ続けたことは、もしかするともったいなかったのかもしれない(ただ、あのひどい希死念慮を抱えた状態で、アメリカ一人暮らしに精一杯だった状態で、その余裕があった時があったかと問われると、難しかったかもしれないとも思う。)

ただ、帰国のために就職活動をしなくてはならなくなった、最後の1年くらいは、症状が体に出てかなりしんどかった。その当時は今後の選択が、どれをとっても何かしらの恐怖要素がある、怖さの八方塞がりみたいな状態であった。

仮にアメリカに残るという選択肢をとった場合、大量のアプリケーションをアメリカの大学に提出しまくり、インタビューを受けまくり、運よく拾ってもらった場所に、一人で引っ越し、一人で生活のセットアップとラボのセットアップと英語での授業の準備をしなくてはならないということであり、PTSD的な恐怖心というよりは、エネルギーが枯渇していた自分にとって「そんなの今の自分には無理!」という絶望感やら孤独感やら、そういうネガティブなビジョンが自分の眼前に立ちはだかった。

日本のアカデミアに戻るという選択は、もちろん、自分がPTSD・うつ病を発症した原因となる場所に戻るということであり、PTSD的な恐怖心が自分を襲った。

またアカデミアをやめるということは、NIH時代のボスや仲間たちを落胆させるような選択で、人の顔色を窺いやすい自分としては取りづらい選択で、かといって無職で帰るというのも、アメリカで知り合いがたくさんできた手前、どう思われるか、何言われるか怖くて、取りづらい選択であった。

まさに八方塞がりの状態であった。

そんな自分の原動力となったのは肉親の存在で、彼らに会うために、恐怖で全ての選択を取りづらかった状態ではあったが、その感情に抗い、「地元でアカデミアを続ける」という選択を取ることができた。アカデミアの恐怖というネガティブな感情を、家族の顔を見たいというポジティブな欲求がなんとか上回った。

もちろん、辞めてもよかったのだが、日本でアカデミアの研究を続けるということが、複雑性PTSD治療のための曝露に該当することになり、意図するところではなかったのだが、病の治療という意味で、結果的にいい選択ができたかなと思う。この病を経験してから、扁桃体が暴走することで、自分の感情や感覚により敏感になり、少しだけ人生の選択が上手になったようにも感じる。元気だった頃の自分は、自分が感じるネガティブな感情を無視し、それに抗って選択し、その場所で変形できない自分を無理やり変形させようと、無理をしていた。

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