前回の続き。そして、これが最後。自分がここ数ヶ月思ってたことが、多少の取りこぼしはあったかもしれないが、大体まとめられたと思う。長かった。
さて、前回の後輩との会話で、自分が架空の敵と戦っていたドンキホーテだったということ。もう誰も前の研究室が定めていたルール内で生きていない中で、自分は頼まれてもないのに、トラウマへの恐怖から、そのルールの中で抗い続けていたということを書いた。
自分はうつ病治療のため、トラウマに立ち向かうために、カウンセリングを通じて、禁忌を取り除く作業をたくさん行った。それに加えて、ブログを書けるようになったり、旅行をたくさんしたり、ハイキングをたくさんしたり、絵を描けるようになったりと(なってないけど)現実を充実させるように努力し始めた。そうすれば、自分はまた前の研究室に戻っても、不遇な扱いを受けることがなくなると、心のどこかで信じて。
見るのも触れるのもトラウマとなり、実際に物理的に近づくことも困難になってしまった研究室ではあったが、一方で、自分は潜在意識の中で、先輩のように、その研究室で人望を集めて、認められた存在になりたかったのだ。
今でこそなくなったけど、アメリカに来た当初は、自分が前の研究室の飲み会に参加している様子をよく想像していた。というか、頭が勝手に自分が前の研究室の飲み会にいる様子を想像してしまうのだ。そこで自分は、アメリカで培った知識や英語、そして自慢の彼女の写真をみんなに披露して、ついに、先輩がしていたように、後輩からの人望を一身に集めることに成功するのだ。「いや〜うつなまさん羨ましいなぁ。すごいなぁ」と。そして教授からもついにお墨付きをもらう。「みんなうつなま君みたいになるように」と。
その姿は、実際に自分が研究室にいたときと、真逆の姿だった。実際の自分は、そういう飲み会が研究室で開催された際、彼女いない組でひとテーブルにまとめられて、先輩を含む、女性の学生や彼女のいる学生は隣のテーブルに座り、隣で恋愛やセックスの話を聞かされて、聞こえるか聞こえないかの声量で、嘲笑うかの如く、中傷されるのだった。「ヒソヒソあいつ童貞なんだぜククク」。その屈辱的な状況は先輩がいる限り、飲み会が開かれるたびに繰り返されて、自分は怒りと悲しさと恥ずかしさでワナワナ震えながらも、「研究者として優秀な先輩だから、楯突くわけにはいかないし、何より事実だから言い返せない」と消化できない感情をうちに溜め込み、それはコンプレックスとなり、トラウマともなった。
自分は、その状況が、自分に原因があると思っていた。「自分に彼女さえいれば、あちら側のテーブルに行けるのに」と。でも、そのテーブルにはなぜか恋人のいない学生もいて、その彼はとても先輩に好かれていて、全然馬鹿にされることもなく、すごく可愛がられていた。つい最近気がついたのだが、その状況は自分に原因や責任があるのでなく、先輩にあるのだ。
これは他の状況でも言えるが、あなたが他人や団体から中傷された時、そしてその内容が仮に事実に基づくものであったとしても、それはあなたに原因があるように見えて、実際はそうではなく、中傷してくる人の問題なのだ。中傷してくる人は、純粋にあなたのことが嫌いで、あるいはどうでもいい人間と思っていて、何かしらの「ディスり要素」を血眼になって見つけて、あなたを中傷してくる。もう、対話可能な人間なのではなく「危険なディスりマシーン」だと思って、人間でなく変更不能な機械だと思って離れた方がいい。
あなたはその「ディスり要素」がその中傷の原因で、なんとか必死になってその要素を自分の中から削除しようと努力するけど、人の気持ちがわかる人、あなたのことを大切に思ってくれる人は、あなたにどんな「ディスり要素」があったとしても、中傷してこない。そして「ディスり要素」が一個もない人は存在しない。あなたが中傷された時に、するべきことは「ディスり要素」を懸命になって、必死の努力で、ものすごいカロリーを使って削除することでなく、ただそういう人から離れるだけだ。物理的に離れるだけなら、必要なエネルギーはものすごい低カロリーで、そして余ったカロリーを自分の好きなことに費やすことができる。そして覚えておこう。原則的に人があなたのことを好きから嫌いか、あるいはどうでもいいかを判断するのは「その人」であり、あなたの努力の範囲外であると。あなたにそんな万能性はないと。
そう、若き自分には万能感があり、自分が努力すれば先輩も自分のことを好きになってくれると思っていたのだ。でも、先輩が自分を嫌いな理由は、自分が必死に研究を頑張る研究者だったからで、自分が彼女のいない陰キャラだったからではない。
話を戻そう。
うつ病とともにアメリカに来ることで、前の研究室の存在が自分の中でより一層遠いものと化して、当時の願望だけが、叶わぬ夢として自分の中で生き続けていた。
でも先輩も後輩も家庭を持ち、その他たくさんいた学生も、とっくにそんな願望からは卒業していた。もう誰も、あの研究室の中で、人望を集める努力、そして人を蹴落とす努力なんてしていなかったのだ。自分だけが、頭の中で、同じところをぐるぐると何周も周回していたわけだ。
そして、今回、申請書を書くことをきっかけに、自分を見つめ直して、自分はその世界から自分自身で足を洗うことを心に決め、その直後、後輩との会話で、いまだにその世界にいるのは自分だけである、ということを思い知らされた。
じゃあ、これからどうする?ブログ書くのやめるか?旅行するのやめるか?ハイキングするのやめるか?絵を描くのやめるか?
そんなに充実したって、そんなまだ見ぬ自分になったって、今よりハイレベルな自分になったって、仮にお前がかわいい彼女と結婚して子供を作ったって、当時の研究室のメンバーはさして気にも留めないぞ?もうお前が賞賛される飲み会は開かれないぞ?それでも続けるのか?
答えは100%イエスだ。続ける。敗北を受け入れる勇気を得て、後輩から現実に引き戻されてもなお、自分は今現在、力を入れているアクティビティーをやめないだろう。
なぜならば、これの行動は、決して前の研究室から舐められないために始めたわけではないからだ。そういう意識もゼロではなかったけど、一番は自分の人生を豊かにするため、自分が心から楽しいと思えることをたくさん見つけて、継続して、そしてもう2度とうつ病にならないためだ。前の研究室に戻らなくても、前みたいな生き方をしていたら、必ず自分はうつ病になる。自分の歴史がそれを証明している。
そして、自分が「アカデミックをやめる」という敗北を受け入れられたのも、カウンセリングによって自分の禁忌を破ることができたことに加えて、そのような「人生の楽しみ」をたくさん見つけられたことが確実に要因の一つでもある。「アカデミックやめても、自分は自分で、アイデンティティーは崩壊しないし、何より楽しいこともたくさんあるじゃん」この考えが、自分がやめる勇気を出すのを後押ししてくれる。
ブログ、旅行、ハイキング、絵だけでなく、もっともっと、自分は自分の楽しみをを開拓していく予定だ。命が続く限り、何人たりとも自分の進行を妨げることはできないだろう。そう信じている。
さて、長くなった「敗北を受け入れる勇気」シリーズもここらで終わりにしようと思うが、最後に一つだけ書いておかなければならない。
それは「アカデミックをやめる勇気」を自分の中に作り出すことに自分は成功したが、まだ現時点でアカデミックをやめるという選択をとったわけではないということ。今回、申請書を書いてみて気がついたが、一年先の就職先というのはなかなか見つからない。どの研究室もポストが空いたら、すぐに誰かに来て欲しくて、「可能なら一年先に行きたい。けどもっといいところが見つかったら、他に行く」みたいな奴のために、一年間もポストを空けたままにするということは普通はしない。だから、自分が実際に次の就職先を見つけるのももう少し先の話になる。
現時点で、自分はアカデミックを続けたいわけでも、民間企業に就職したいわけでもない。正直、何もしたくない。長きにわたって、仕事を続けながら、うつ病治療にも取り組んで、回復はしたけど、何かの「仕事意欲」みたいなものはほとんど空っぽなのだ。現実的に可能かどうかはわからないけど、今の自分は「ただただ遊びたい」モードなのだ。でも、そんなに貯金もないし、任期が切れるタイミングでは、流石に何かしら職探しをしようと思う。アカデミック、民間、両方含めて。
それまでは、特にしたいこともないし、今の研究室で、任期ギリギリまで研究を続けようと思う。最近は新しい人が多く入ってきて、研究もそこそこ楽しいのだ。そして、可能な限り長く今の研究室にいた方が、日本に帰るよりもIFの高い論文を出せる可能性が高いのだ。それは決して自分の意図するところではないのだけど、慌てて日本で職探しをするよりも、ダラダラと、次の仕事が見つかる保証はなくても、限界までアメリカで研究をしている方が、アカデミックで生き残れる可能性が高いのではないかと、勝手に、希望的観測も含めて、予想している。
この考えは、ハンターハンターでシュートが捨て身の覚悟でユピーに突っ込んでいたことが、結果としてシュートを延命させていたという描写に、どこか似ていると思うのだ。
終わり。