友人に励まされたのが嬉しかった
これまでの記事はこちら。このシリーズは一旦ここで終了。
研究生活10年目。研究に行き詰まる(Vol.1) 「ポジティブデータとネガティブデータの違いをヨーグルトで解説」
研究生活10年目。研究に行き詰まる(Vol.2) 「コロナでネガティブデータすら出ない」
研究生活10年目。研究に行き詰まる(Vol.3) 「研究分野そのものの停滞」
研究生活10年目。研究に行き詰まる(Vol.4) 「研究職の任期制の功罪」
最後にこれらの記事を書こうと思ったきっかけの友人からの励ましを書こうと思う。
最初の記事が8月なので、その友人にNIHであったのも、もう2ヶ月前か。早い。同じ建物で研究しているので、コロナ の前はしょっちゅう会っていたのだが、コロナで研究も中断し、約半年ぶりの偶然の再会だった。
その方は学生の頃からアメリカにおり、グリーンカード所持者で研究歴も自分よりだいぶ長い。今後のキャリアのことや、ご自身の経験談などいろいろと教えてくれた。
ふとした拍子に、過去に自分の研究が外部から「再現が取れない」と反論記事を書かれたことを打ち明けた。何の拍子かは本当に忘れてしまった。
研究者にとって「研究の再現が取れない」と言われることほど、つらいことはない。研究というのは真実を解き明かす仕事であり、「再現の取れない仕事」を公表するというのは「嘘つき」であり、研究者の素質として負の烙印を押されるようなものだ。
ただ、予想外に、その友人は「でも、それってあなたの研究が議論の中心になっているということじゃないですか。うらやましい。僕もそんな研究してみたいですよ」と言ってくださったのだった。
続けて、その友人は「僕らの”発生”の研究分野は、公表された論文の約60%が再現が取れない、と言われているんですよ。だから、基本的に誰も論文の再現性なんて気にしないし、出された論文は再検証されることもなく、基本的にそのままです。そういう反論が出されるということは、ある意味ホットな業界にいるということではないでしょうか?」と言っていた。
実際に、自分自身、外部の研究の再現が取れなかったことは複数回ある。研究者によって、どれだけ再現性に拘って仕事をするかは、本当に人それぞれで、再現性なんて二の次で、とにかく業績を稼ぐためにバンバン論文を出してしまう人もいる。これも前の記事で書いた、任期制の弊害である。その研究が真実かどうかより、とりあえず目に見える形で、任期の内に論文を出すことの方が大切になっているのだ。こんな状況だと、何のために研究をしているかわからなくなる。本末転倒とはこのことだ。
その反論の論文で、自分の全データが否定されたわけではないが、でも自分自身「痛いところをついてくるな」という印象はあった。その反論されたデータは条件検討がシビアな箇所だったのだが、論文内でそのことを言及していなかったのだ。これは、当時の教授の方針など色々な要素が絡まることなのだが、自分にも確実に責任がある。自分はこの負債を背負って研究者として生きていくのだ。自分で自分の面の皮を厚くしていくしかない。
ただ、面白いことに、つい最近、直接的にではないが、自分のデータを指示するような新たな論文も出されたのだ。冷静に考えれば、自分のデータと彼らのデータ2つしかない。今後、この展開がどうなるかは未来になってみないとわからないのだ。
そんなこともあって、自分は論文を出すのがめちゃくちゃ怖くなっていたのだが、でも研究者というのは「今までに誰も発見したことのないデータ」を発表する仕事であり、そこには必ず「間違い」のリスクがある。その「間違い」を恐れて、過去の再現データばかりをとっていたら、それこそ全く無意味な研究なのだ。外部に批判されるリスクはあるが、それでも勇気を持って「間違いの可能性のある、誰も発表したことのない新しいデータ」を発表し続けるしかないのだ。研究者は。