インサイドアウトな生き方へ

最近、自分のカウンセラーさんが自分の生き方がインサイドアウトになってきたと評価してくれる。今まで「インサイドアウトな生き方」という概念を知らなくて、この考え方が自分自身もまた非常に気に入っているので紹介してみようと思う。

「インサイドアウトな生き方」というのは自分の内面(inside)を外(out)に表現していくという生き方である。内面とは自分の興味であったり、感情であったりするもので、そういうものを主体的に外部へ表現していくということである。

逆に「アウトサイドインな生き方」とは外部(outside)の刺激が自分の内(in)に入ってくるということである。

人間にはこのインサイドアウトとアウトサイドインの両方の側面があるが、うつ病の寛解に取り組むまでの自分というのは「アウトサイドイン」の割合が圧倒的に高くて、自分の感情に焦点を当てて、それを表現するということがほとんどなかった。だから、周囲の人間の反応ばかりを気にしていて、「人からどう思われるか」ばかりが気になり、人間関係に疲弊して、徐々にすり減っていってしまった。

例えば、飲み会に参加する場面を想定した場合、自分自身が「このお店はどんな内装なんだろう?」とか「お酒や料理はどんな味だろう?」とか「集まる人はどんな人なのだろう?」と言ったような興味関心をしっかりと意識でき、ウキウキワクワクした気持ちで、それらの興味関心の感情を外に表現できるのが、インサイドアウトな生き方である。一方で「自分の振る舞いは間違っていないだろうか?」とか「変なことを言って場の空気を悪くしないだろうか?」とかそういうことばかりが気になって、飲み会を楽しめないような場合、それはアウトサイドインの割合がかなり強くなっている。

うつ病真っ只中の自分は常に「アウトサイドイン」な状況にあり、飲み会などに参加しても楽しいという感情を感じることがほとんどなかった。常に周囲の反応が気になり、意識が自分の内へ内へと入り込んで行っていた。うつ病寛解以前の自分は、飲み会などに参加しても、店や料理がどんなものかとか、そう言ったことに興味が全く湧いてこなかった。正直、そんなことはどうでもよかった。「自分がどう感じるか」よりも「自分がどう思われるか」が圧倒的に優ってしまい、何をするにしても、自分自身の興味というのが欠落していて、人生を楽しむことができなかった。

うつ病寛解に取り組んでから、自分自身の感情に焦点を当てて、それを肯定していくことの大切さというのを学んだ。そこから少しずつ、「自分がどう思われるか」よりも「自分がどう思うか」という意識が自分の脳の中でも大きくなていったのが感じられる。脳の変化というのは残念ながら1日では起こらないようだ。うつ病寛解に取り組んでから、丸4年ぐらいかかって、ようやくインサイドアウトの割合がアウトサイドインと同等になってきた気がする。

「使わない機能はどんどん退化する」というのは、ある程度長生きした人間なら実感として持つことができると思う。それは「楽しさ、ウキウキ、ワクワク」といった感情も同じで、長い間これらの感情を感じないと、この感情を感じる脳機能そのものが衰えてしまい、せっかく目の前に「楽しいこと」があっても「楽しい!」と感じられないのだ。こういう状態を専門用語でアンヘドニアという。いわば、「楽しさの味覚障害」のようなものだ。そこに楽しさ(味)は確実に存在する、にも関わらず脳機能(舌の機能)が麻痺していて、それを感じられない。

自分のうつ病はこのアンヘドニアを伴っていた。だから、うつ病寛解のために楽しいことに取り組んでも、あんまり楽しくなくて、治療が進まないのだ。正直自分も、一体どうやったらこの状況が良くなるのかという具体的な方法論がわからない。自分には年単位の長い時間が必要で、本当に牛歩の歩みでいろいろ取り組んでいるうちに、ちょっとずつよくなったという感じである。

ブログを始めるという事はインサイドアウトな生き方に切り替える上で、とても重要な事であった。レストランのレビューをするにしても、まずいろいろなレストランに通わなくてはならないし、料理も自分の舌に集中して、味を文章化しなくはならない。それまでの自分は、外で料理をテイクアウトしても、Youtubeを垂れ流しながら、ぼんやりと無意識で食べるだけで、味に集中するということをほとんどしなかった。ブログを始めたおかげで、自分の内面の機能の復活を感じられるようになってきた。

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