【詭弁】毎日からあげを食べれないとからあげが好きなことにならないのか?

A「好きな食べ物は何ですか?」

B「からあげです」

A「どれくらいの頻度でからあげ食べるんですか?」

B「2~3週間に1回くらいでしょうか」

A「たったそれしか食べないのに、からあげ好きって言ってるんですか?」

B「変ですか?」

A「本当に好きなら、毎食からあげ食べれるはずですよね?少なくとも毎週からあげを食べる人よりはあなたはからあげが好きではないですよね?あなた、本当はからあげそんなに好きじゃないんじゃないですか?」

B「…」

詭弁が嫌いだ。だが詭弁に反論するのは超苦手だ。

ネット文化やSNSが主流になり始めた10年ほど前からだろうか、いわゆる冷笑系と呼ばれる理屈っぽさで相手を論破したっぽく見せる人たちが人気を集めるようになってきた。

自分は冷笑系と呼ばれる人たちが全体的に嫌いだ。損得勘定だけで動いて、情がなく、過失を犯した人に異常に冷酷になれて、再起のチャンスすら与えない感じ。もちろん、社会を生き抜くにあたって、ある程度の損得勘定は必要で、「関わらない方が得になる社会的弱者」みたいなのは存在すると思うけど、冷笑系の人たちはそれを全面的に善であると押し出している感じがあり、そういう弱者を高みからサディスティックに嘲笑っている感じが、狡賢く下品な感じで好きではない。弱者に対して一縷のいたわりもない世界なんて生きたくない。

自分は平和主義者で、喧嘩というものを幼少期から考えてもほとんどしたことがない。争いごとが起こりそうになるとニコニコして自分から折れて、悪くなくても自分から謝ってきて、それが善であると両親からも教育された。

その結果自分は「自衛」が極端に苦手な人間になってしまった。周囲の人間に恵まれると潤滑油的にいい関係を築いて生きていけるのだが、悪い人間に囲まれると搾取されエネルギーが枯渇する。そういう経緯が自分がメンタル疾患を患ってしまった要因の一つである。

上のような「毎日からあげを食べれないと、からあげが好きなことにならないのか?」みたいな詭弁をふっかけられても、自分はその場でうまく言い返せず、「そうですね、私はあまり好きではありません」と折れてしまう。ただ家に帰ってから憎悪に燃え、相手への怒りが頭から離れなくなる。

おそらくだが、理系・自然科学を専門にやってきた人というのは、この手の弁論があまり得意でない。論理的で一見そういうことが得意そうな種族であると思われがちではあるが、自然科学というのは理屈ではなく事実(データ)に従う。実際、サイエンスというのは理屈どころか人智を超えてくることが頻繁にあり(我々はこの世界の成り立ちすらまだ論理的に説明できない)、事前にあれこれ理屈をこねくり回して理論を作っても、実験一つで予測と逆の結果が出て、その理屈が消し飛ぶことがザラにある。だからこの業界では理屈をこねくり回すより、まず実験して確かめてみるというのが基本スタイルで、それゆえ、弁論みたいなことはあまり必要とされないのである。

ああいうディベートとか弁論・討論が得意なのはどちらかというと文系な印象だ。弁護士とか政治家とかその手の人たちが異常に得意な印象がある。

深夜まで研究できないと、土日も研究できないと、研究が好きなことに、やる気があることにならないのか?

なぜこんなことを書いているかというと、冒頭の「からあげ」の部分が「研究」に置き換わったようなやり取りが、日本のアカデミア研究業界ではしばしば行われるからだ。実際、自分が学生時代に所属していた研究室では「朝9時~深夜12時で働けないやつは研究者として大成しない」とか、それに満たない働きぶりを見せると「あいつはやる気がない」とダメなレッテルを貼られた。

若さもあったが、当時自分は研究者になりたくてしょうがなくて、先輩や教授から認められるように、その通りに働いて、激務だけが原因ではないのだが、激務も一因となり、しっかりとうつ病・パニック(厳密にはおそらく複雑性PTSD)を患った。

先輩が卒業してから、まず夜11時くらいには帰るようになり(それでもめっちゃ遅いが当時はずいぶん楽に感じた)、自分が卒業間近は夜9~10時の間に帰ることも増えていったように思う。家でマツコ有吉の怒り心頭を見ていた記憶があるのだ。アメリカでも頑張ろうと思ったのだが、みんなが早く帰るので自分も早く帰るようになり、最終的には朝10時~夕方6時とかが自分の平均的な働き方になっていた。日本に戻ってきてからはそんなわけにはいかず、朝9時30分~夜7、8時位がアベレージになっている。

深夜まで働いていた頃と比較すると(ただ実際はそんな深夜まで集中力は持たず、最後の数時間は文字通り居るだけでネットサーフィンしていて寝ていることも多かった)、労働時間は少ないが、その頃に比べて自分は研究が嫌いになったわけでもやる気がないわけでもない。何なら業績的にはアメリカにいた頃がキャリアの中で一番出ているのである。

毎日からあげを食べれないからといってからあげが嫌いなことにはならない。この詭弁への反論は難しいが、最もらしい説明をするとなると「からあげ以外にも好きな食べ物がある」というものになろうか。毎食からあげを食べていたら、胃袋に限界がある以上、他の好きなもの、カレーとかラーメンとか寿司とかを食べられなくなってしまうし、そのことがストレスになりからあげも嫌いになる。ていうか、からあげにも飽きる。

研究もそれと同じで、研究以外にも人生でやりたいことがたくさんあるのである。だが1日は24時間しかなく、朝から深夜まで研究室に缶詰になっていたら、他のことが全くできなくなり、そのことがストレスになって研究も嫌いになるだろう。

そんな当たり前のことは言われなくてもわかりそうなものなのだが、なぜだかこの業界には常識的な発想が通じず「極端な発想」に陥る人が多い。そして普通に常識的な人に囲まれて生きていると極端な発想に対する反論などしなくていいので、急に極論を突きつけられると、ついつい「確かに」と納得してクレイジーな働き方に誘われてしまうのである。

詭弁に反論するのは難しいが、「一旦持ち帰らせてください」と結論を先延ばしにすることは簡単である。短期間で議論を決着しようとせずに、疑問に感じることは一旦持ち帰って、腰を据えて反論を考えよう。

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