希死念慮の原因は孤独感だったのか?

およそ7年間のアメリカ一人暮らしを終えて、現在、両親と同居し、実家暮らしをしている。

ただいま

日本に帰国するにあたり、なるべく親元に近いところで就職しようと思った。親元に近ければ、またブラックな研究室を引いてしまっても、すぐに実家帰って傷を癒すことができるし、冠婚葬祭などの家族イベントにも出席しやすい。自分が日本に帰る主な目的は、「アカデミックキャリアの呪い」や「元教授や先輩の幻影」に奪われそうになった「家族との時間」を取り戻すことにあった。それがファーストプライオリティで、それが担保されなければ、もはや日本に帰る意味もないと思っていた。

もう一つには「実家に帰れば体調が良くなるのではないだろうか?」という一縷の希望があった。

当時自分はうつ病による慢性的なメンタル、フィジカルの不調を抱え、一人で生きていくことの限界を感じていた。カウンセリングにもずっと通っていて、自分が7年間アメリカで頑張れたのは間違いなくカウンセリングのおかげだったのだが、「カウンセリングに通うことでは、これ以上体調が良くならない」ということも認識し始めていた。

(過去の体調不調の記述)

うつ病パニックになってよかったこと~トラウマは石碑~
トラウマとの戦いが終わる日は来るのか

帰国が近づいてくると、就活のストレスでルミネーションが激しくなり、最低限の生活をすること以外、どうしようもなくなっていた。日本に帰るということは、自分にトラウマを植え付けた元教授の近くに帰るということであったり、新たな職場でまたブラック労働を強いられる可能性に直面することであった。

「日本に帰国し家族に合えるようになる=日本のアカデミア労働環境に戻る」ということであり、過去のトラウマに再び直面することは自分にとって非常に勇気のいることであった。

「人と一緒にいるとルミネーションしない」ということには、比較的早い段階から気づいていたと思う。人間は一度に二つ以上の物事を考えることができないため、誰かと何かをしている時にはそちらに気を取られ、考えたくないことを考えずに済む。自分が休みたい欲求に抗って、なるべく可能な限り友人らと遊んでいたのも、そういうことに気がついていたからかもしれない。また友人と旅行した際にも、「寝起きの希死念慮」がマシになることに気がついていたから、自分の体調のために、誰かと一緒に暮らしたかった。

それでも、帰国の1年前ほどからは、あまりのルミネーションと希死念慮の激しさに「本当に帰国して、これらの症状が消えるのか?」と自分の仮説に疑いを抱き始めていた。それでも、仮に体調は良くならなくても、家族の顔はみれるし、家事を分担してくれるし、朝も起こしてくれるし、生活リズムも乱れにくくなるはずだ。生活はきっと楽になるだろうという考えのもと、地元での就職を探していた。

幸い、本当に幸いだったと思うが、自分は実家から通える距離で次の就職先を決めることができた。通勤に往復2時間以上かかり、一人暮らしした方が楽な距離ではあるが、未だにその気力は湧いてこない。

帰国してすぐに、「寝起きの希死念慮」と「先輩と教授のルミネーション」という、アメリカ生活の間中、断続的にず〜っと続いていた、カウンセリングを含めたあらゆる努力を持ってしても取り除くことのできなかった「二つの苦しみ」がほとんどなくなった。ゼロにはなっていないけど、アメリカにいる時を100%とすると、5%以下に低減した。自分の仮説は当たった。帰ってきて、帰ってこれて本当に良かった。

自分の希死念慮の発症はMちゃんとの関わりが原因だったのだが、発症の原因がそれであっただけで、継続の理由はMちゃんではなかったように思う。実際、Mちゃんと別れた後も、2年くらい、アメリカにいる間はずっと希死念慮が続いた。


自分の希死念慮を徹底的に文章化してみる

とにかく、生きるのがめんどくさくて、起きる理由がなかった。とにかく「死」の文字が寝ぼけ眼に浮かんでくる。アカデミアキャリを継続するのが、あまりに大変すぎて「死んだ方が早い」。彼女もいないし、できる気もしないし「死んだ方が早い」。別に取り立てて嫌なことがあるわけじゃないけど、この人生だったら「死んだ方が早い」。それが手っ取り早い解決策である。もうこれ以上、問題解決に向けて努力できない。問題解決のためにクリエイティブになれない。めんどくさい。投げ出してしまいたい。だから死んだ方が早い。そんな感じ。「死んだ方が早い」というのが自分の希死念慮の定型文だった。

不思議なことなのだが、両親と同居し始めて、希死念慮がなくなった現在も、状況はそんなに変わっていないのである。未だに任期付きアカデミアポスドクしていて、定年までの保証もない。彼女もできそうもないまま40代に突入しそうである。アメリカにいた時と生活する場所が違うだけで、自分の状況はそんなに変わっていないのである。でも、両親のいる家で目覚める限り「生きるのがめんどくさい」とも「死んだ方が早い」とも感じない。当たり前の状況であって欲しいのだが、とにかく「死」の文字が浮かんでこない。

「純粋に寂しくて、その孤独感が希死念慮の原因だったのか…」理由は定かでないのだが、実家に身を置くことで希死念慮がなくなったという事実を考えると、それが答えなような気がする。

「両親に会えないから死にたい」と感じていて、両親に会えるようになり希死念慮を感じなくなるのなら、もう少し納得がいくのだが、少なくとも「両親に会えないから死にたい」とは思ったことがなかった。アメリカにいる間でもWhatsappで電話すれば母はいつでも出てくれた。

「仕事のストレス、恋愛での希望のなさ、みたいなのが希死念慮の原因だと思っていたのに、両親と生活することで、それがなくなったのが不思議で…」みたいなことを職場の健康相談員に話した。すると、こんな答えを返してくれた。

「ずっと部屋に一人でいると、人との繋がりがなくて、自分の存在が”希”薄な感じがして、生きる理由みたいなのが、うまく感じられないんじゃないでしょうか?だから消えてしまいたいと思う。血のつながりのある人のそばにいることで、自分の実態が、確かなものとして、感じやすくなるんじゃないでしょうか?」

明け方の胸の苦しさは未だに残っているし、職場に向かうとき、研究に向かうとき、未だにえずいたりするのだが、そこから希死念慮だけが綺麗に抜けた。

仕事にも慣れてきたし、もう少し実家にいながら色々チャレンジすれば、身体的症状の方も良くなっていくかもしれない。そう信じている。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする