三大自立
ここ数年の自分のテーマであった「自立」についてもう少し掘り下げて書いてみようと思う。
自分としては自立は大きく3種類に分かれると思っており、それぞれ「生活的自立」と「経済的自立」そして「精神的自立」がある。そしてこれらの三つの要素が絡み合い、「総合的な自立」というのが成立している。
生活、経済、精神の三つの自立については他の人もわかりやすくまとめられているので、そちらも見ていただきたい。
生活的自立
個人的にだが、人生において一番大切なのは「生活的自立」であると思う。幼少から成長していく過程で、一番最初に着手するのが「生活的自立」だ。服を着たり、風呂に入ったり、歯磨きしたり、髭を剃ったり、自分の身体を整えることから、掃除したり、洗濯したり、料理したり、ゴミ出ししたりと住まいのことを整えたりと想像以上にたくさんの要素がある。一人暮らしをした場合、住民票を移転したり健康保険の手続きをしたりと役所仕事をこなす事なんかも生活的自立に入るのではないかと思う。
生活的自立は一見簡単で、いざとなれば誰でもできそうなことに感じられるが、自分はそうは思わない。「人間というのは想像以上に教わったことや、やったことのあること、成功体験のあること以外はできない」という事を最近、深く実感しつつある。自分は生活的自立に一番自信があるのだが、それは小学生の頃から両親に家事を徹底的に仕込まれたからだ。両親から「勉強しろ」とはほとんど言われたことがないが、「家の手伝いをしろ」ということは結構しつこく言われ、実際かなりの量を手伝ってきた。
おかげで、一人暮らしを初めても家事で全く苦労しなかった。友人の中にはそういうことが全くできず、家にゴミをため込んでしまう人もいた。当時、なぜそういう状況になるか全く信じられなかったのだが、おそらく彼は家事をやったことがなかったのだと思う。生活的自立が成立していない生活というのはかなり悲惨である。もし自分に子供ができたら、独り立ちできるようにしっかりと家事を教えてあげようと思う。
自立とは依存先を増やすこと
「自立とは依存先を増やすこと」という考え方があるが(下記参照)、自分もこの意見に賛成である。例えば、経済的自立にしても複数の収入源がある人の方が、一箇所から給料を得ている人に比べると自立度が高い(安定度と言うべきか)。ただ、複数の収入源がある人というのは実際のところ珍しく、かなり能力の高い人だ。自分もそうだが、大抵の人はそんなことはできない。
ここ数年間、「人間はこの3大自立を完璧にこなさなくてはならない」とどこか思い込んでいた。自分は何事にも目標を定めがちで、そして目標を達成することに強迫的になってしまう癖がある。
しかし、最近になって自立は「絶対にしなくてはならない」という義務から「可能ならできた方がいい。自立できた方が人生の自由度が高まる」という目標、自分の中で変わりつつある。
その理由の一つは「全員が全員、自立できる訳ではない」ということだ。病気や障害などから生まれつき自立が困難な場合もある。また、経済的自立の場合、その時の社会の経済状況によっては週に5日一生懸命働いても、一人暮らし出来るだけの十分な給料がもらえない場合もある。自分が経済的自立に関して書かなかったのは、そういう理由である。経済的に自立したくても、どうしようもない場合があるのだ。
個人の力だけでは自立できない場合も考えられるのに、「絶対自立しないとダメだ」という風に自立を義務(マスト)にしてしまうと、自立できていない多くの人の人生を否定してしまうことになる。その人は自立できている人と比べると、能力的に劣っている部分もあるのかもしれないが、悪事を犯している訳ではない。人によっては「能力的に劣っていることは悪」と捉えている人もいるが、自分はそんな考えをしたくない。能力が劣っていることは不便な場合があるが、決して悪ではない。自分は自立できない人の人生を否定したくない。
昔、「絶対に自立しなくはならない」という強迫的な考えがまだ自分の中で強固だった頃、しかしその目標を達成するのがほとんど無可能に感じられ、絶望していた頃、そのことを知人の精神科医に相談したことがある。その方は自分と同じくNIHに留学されていた人で、直接の面識はなかったものの真摯に自分の話を聞いていくれた。
その方は「生きていければなんだっていいんです。ホームレスであっても生活保護であっても、生きられればなんだっていいんです」とおっしゃっていた。まるで全人類の人生を肯定するかのような考え方で、仏のように非常に優しく感じられ(実際に仏が優しかったかは知らないが)、自分にはとても印象的であった。
精神的自立
自分にとって一番難しかったのが「精神的自立」である。これはそもそも定義が難しい。自分は大学入学時から今の今まで10年以上一人暮らしをしているが、それでも「精神的に自立できてきたな」と感じられるようになったのは、昨年からである。それくらい、つらいことがあるとすぐに母親に電話していた(30過ぎて、ようやく母親離れできてきた)。
依存先を増やすことが自立なのであれば、家族以外に相談相手がいること、家族以外に自分の弱さを表現できることが精神的自立において重要な要素なんじゃないかと考えている。
精神的自立を構成する要素を自分なりにまとめてみる。
- (困った事に対処するために)家族以外に自分の弱さを見せられる相手がいる。これができないと、家族という狭い空間で悩みがどんどん熟成され大きなる。
- 自分の感情をある程度コントロールできる。ネガティブな感情を一旦は持ち帰る。
- 怒りや悲しみなどネガティブな感情の適切な処理ができる(溜め込むのはダメ)
- 親が自分に対して否定的な場合、親に自分を認めてもらう事を諦める。親は自分とは異なる価値観を持った別人間である事を受け入れる。
- 主体性がある。対人関係において、自分から人を誘うことができる。愛を与えられるのを待つのではなく、自分から愛を与えられる存在になる。
最近は特に、「自分から人を誘う」という事を意識している。なかなか難しいが、愛を与えられる存在になりたいなと思っている。