年明けから激務で、うつ病・パニック・複雑性PTSDを抱える自分を追い込むような、何か見えない大きなものと戦っているかのような、一ヶ月半であった。
新しい日本の職場で勤めだしてから、夜中に仕事のプレッシャーで過覚醒してしまい、一睡もできないということをしばしば経験するようになった。昨年は3~4回経験して、今年はすでに1月に2回と先週とで、計3回経験している。先日、職場の健康相談員さんと話す機会があったのだが「それって、まあまあのことですよね」と少し心配された。
それとは裏腹に、自分の健康状態は確実に良くなっていっている。アメリカにいた時に逃れられなかった、希死念慮やルミネーションはほとんどなくなり、なおかつ最近は、明け方の胸の苦しさもあまり感じなくなって、特にここ2週間くらいは心臓の調子がめちゃくちゃいい気がする。
コロナ禍の時に数ヶ月単位で休みを得た時にブログにも書き残したが、うつ病・パニックというのは、一定レベル以上は、休むだけではよくならない。もちろん、まとまった休息も必要なのだが、一定期間休んで、ある程度脳機能を回復させた後は、違うアプローチが必要となる。ただ、アメリカにいた時は、何をこれ以上、どうしたらいいかわからず、慢性的な不調を抱えたまま、そこから逃れることができなかった。
日本に帰ってきて、働きだして、ある意味アメリカにいた頃に恐れていたことが起こった。それは「激務」である。定時退社なんてものは存在せず、ボスが帰るまでは帰れないという暗黙の了解から逃れることは、やはり日本では難しいようだ。学生の時のように、深夜まで残ることはないものの、9時~19時が早い方で20時やそれ以降まで働いていたりする。土日もラボや家で働かなくてはいけない日が多い。
アメリカにいる時は、また日本の激務を経験するのが死ぬほど怖かった。でも、日本の労働環境への恐怖心よりも、アメリカでずっと一人でいることの孤独感が嫌で、なおかつ一人暮らしを続ければ体調が悪化していくことを本能的に感じていたので(帰国1ヶ月前から鼻血が止まらず、帰国後も2ヶ月間鼻血が出続けたりしていた)、自分は「もしかしたらホワイトな職場かもしれない」と一縷の希望を信じて、家族の顔を見に日本に帰り、そして、ブラックには程遠いものの、しっかりと激務な職場を引いてしまったのである。
ただ、不思議なことに、嫌悪感を感じながらも、それに挑むが如く、長時間労働を続けているうちに、胸の苦しさがなくなっていった。脳が「思ったよりも大丈夫じゃん」と実感したのかもしれないけど、その本当の理由はいまだにわからず、なおかつ、激務により今後悪化する可能性は残されている。それでも、恐れていたものに飛び込むこと、恐怖突入(森田療法で習った用語。猛烈な読書期の経験が役に立っている)することで体調がよくなるかもしれないという実感を得られたことは自分にとって非常にいいことであった。
最近は、「もしかしたら、激務をこなしたら、パニックや複雑性PTSDも治るかもしれない」という希望のもと、激務に挑んでいる節がある。古代エジプト人が「ピラミッド建設を頑張れば極楽に行ける」みたいに信じて、過重労働に挑んでいた姿と自分が重なる(そんな説なかったらすみません。かなりうろ覚えな記憶)。
アメリカ時代と異なり、ボスからノルマやプレッシャーをかされ、時に詰められることもあり、そういうことが過覚醒の原因となっている。実際のところ、側から見ればちょっと厳しめの上司くらいなのかもしれないけれど、うつ病パニックを患った自分は少しの「詰め」で複雑性PTSDが発動し、眠れなくなってしまう。
「ノルマこなせなかったらクビかな」「後一年くらいは雇ってくれるのだろうか」「これで研究者としてのキャリアも終わりかな」「どこで食べて行こう」そんな不安が頭から離れず、そのまま朝になってしまう(実際のところ、これまで書いてきた通り、自分は研究者として自分が思っていた以上に業績を残せて、未練もないつもりなのではある。日中はそれほど不安にならず、やはり夜の暗がりというのは不安になりやすいのだと思う)
そんな不安を感じるたびに自分は「でも死ぬわけじゃないし」と念仏のように唱えて、自分を安心させようとする。実際、研究者をクビになっても、死ぬわけじゃないし、セカンドキャリアの道はいくらでもある。
ところが、アメリカにいた時は「でも死ぬわけじゃないし」とはあまり感じられなかった。「死ぬわけじゃないし」という言葉の裏には「仮にそれがダメになっても、最悪の事態に陥っても、救いがある」ということであると思うのである。でもアメリカで一人で頑張っていた頃はセーフティーネットと呼ばれるものが乏しく、以前のブログにも書いたが「アメリカにいるうちに親が死んでしまってもう会えない」とか「いっときの迷いで犯罪を犯し、監獄され、牢獄の中で親とも面会できず、孤独と共に死ぬ」とか自分にとって「死ぬこと以上に嫌なこと」に遭遇する可能性が頭から離れなかった。よくわからない運命に巻き込まれ、アメリカまで来て、パートナーもできず、日本にも帰れず親の死に目にも会えなかったら、自分はもう生きていけない。
研究者として失格の烙印を押され、クビになっても、親には会えたし、祖父の葬儀にも立ち会えた。「健康も若さもアカデミアを原因としたうつ病・パニックで失われたけど、家族との時間までは失うわけにはいかない」という切望のもと、それだけは手元に残すことができた。いまだに「帰って来れてよかった」と頻繁に思うし、「死ぬわけじゃない」という背景には、「最も大切なものは失わずに済んだ」という救いがあると思う。アメリカでプレッシャーに押しつぶされそうになっても「死ぬわけじゃない」とはなかなか感じられなかったと思う。
自分はミニマムには救われた。
ただ、頻繁に「これでダメでも死ぬわけじゃない」と感じるような社会生活ってどうなんだろうとも思う。研究業績というプレッシャーとスリルのもと激務をこなすのも、貴重な体験なのかもしれないけど、そこまで追い詰められないとダメなのかな、今の自分は幸せと言えるんだろうか、そんな疑問も感じる。
そんなこんなで、極楽にたどり着けると半信半疑で、できるところまで自分は激務をこなしていくのであろう…公的基金を使って実験科学ができるというのは、本来恵まれた幸せなことであるはずなのだ…