先日、話題の渡邉渚さん著の「透明を満たす」を読んでみた。きっかけは長谷川豊さんのこのツイートだった。
この長文ツイートの中に以下の一節がある。
まさに新しい一歩を歩みだそうとしている中で(実際の書籍はなかなか購入できないけれど)キンドルでもいいので読んであげて応援してあげて欲しいです。ほんと、良く生き延びてくれたなーと感動できます。あと、普通に「鬱(うつ)」とかの本は多い中、「PTSD」の事をここまで書いた本は少ないはずなんです。かなりリアルだし。かなり読む価値があります。
長谷川豊さんのツイート
自分はなかなかのヤフーニュース中毒者で流行りの芸能ニュースはYoutubeやらツイッターやら週刊文春やら色々な情報源から結構調べてしまう。最近になってようやく一段落してきた節があるが、このニュースももちろん興味深く追っていた。
元教授や先輩という自分にとっての巨悪と戦ってきた身にとって、昨今の巨悪が正しく罰せられる事が増えていることに関して、心が救われる思いをする事が多い。
悪が屈することもある、正義が勝つこともある。
うつ病・パニック・トラウマ・PTSDに悩んできた自分にこれ以上の救いはあるのか、元教授や先輩が罰せられることはあるのか(刑法に触れるようなことはしてないからおそらくない)、それはわからないのだが、少なくとも加害者が制裁を受けうることがあるという事例が自分の心を洗浄してくれる。
自分も今までたくさんのうつ病関連の本を読んできたけど、確かにPTSDに焦点を当てたものは読んでこなかったように思う。自分の猛烈な読書期というのはアメリカ留学序盤から中盤で、まだ帰国のストレスに向き合わずによく、PTSDの症状が体に現れにくかったというのもあり、PTSDに焦点を当てた本というのをあまり探そうとしなかったのもあると思うが。
最近になってようやく気がついたのだが、自分は単なるPTSDというよりは複雑性PTSDを抱えているのである。短期間の強烈な体験というよりは長期間の虐待的経験によって症状が誘発される。
このツイートが自分がうつ病・パニックを発症した経緯を端的に表している。長期的な虐待的な研究環境で何とか心を殺して頑張り続けてきたけど、限界の中、Mちゃんの家庭の問題がストレスとなって降りかかり、Mちゃんのお父さんがお母さんをポカポカ叩いているのをみて、心が折れてしまい、翌朝から希死念慮が始まり朝、起きられなくなった。
一つ一つのストレスだけではパニックは発症していなかっただろうが、我慢に我慢を重ねて、柔道の「合わせ技一本」的に心が折られてしまう。渡邉渚さんも幼少期から我慢づよいタイプだったそうだ。この病気は「我慢強いタイプ」が患いやすいのかもしれない。
渡辺渚さんの本を読んでも、テレビ局のストレス過多な激務を我慢しながらこなしていたことももしかするとPTSDの症状が重くなったことの原因の一つなのではないかと感じた。もちろん、事件の重さを考えると、激務の存在がなくてもPTSDを発症していたとは思うが、その予後は、激務のあるなしで違っていたのではないかと感じる。
彼女がトラウマ・PTSD治療に取り組む様子は挑戦者そのもので、建設的で、自分の現在の取り組みに類似した部分もあり非常に参考になった。やはりこの病気は寝てるだけでは良くならず、曝露(エクスポージャー)して恐怖に触れていかないといけない。
また、渡邉渚さんもPTSDを発症して以降、「肩こり」に悩まされるようになったそうだが、自分も発症以降、肩こりを体験するようになった。実際に「PTSD、肩こり」みたいに検索すると、結構関連性が出てくる。自分の症状の急性期は肩こりに加えてあまりに体が硬直した感じがするので、20代なのに全身もみほぐしに通っていて、施術師さんに意外がられていた。
本の中で一番印象的だったのが、渡邉渚さんがアナウンサーを辞める旨をお母さんに伝えた際に、「アナウンサーじゃない渡邉渚に何の価値があるの?」と言われたというエピソードだ。実の娘が生きるか死ぬかの時にとんでもないことを言うなと思うが、言われた本人は普段からデリカシーのない発言をする人だからと、あまりダメージを受けなかったらしい。
なぜ印象的だったかというと、この「実の娘がそんな状態の時にそんなこと言うか?」と言う部分というよりかは、むしろ、自分も母親に似たような言葉を投げかけられたことがあるからだ。
まだうつ病・パニックを発症して4~5年目の頃であっただろうか、アメリカから日本に一時帰国した際に「あなたが同級生に勝つにはもうノーベル賞を取るしかない」とか「教授になれなかったらもうどうしようもないよ」とか、症状がつらくて目の前の仕事をこなすのがやっとな自分に対してそのようなプレッシャーをシリアスな雰囲気でかけてくるのだった。
自分は渡邉渚さんのようにこのエピソードを簡単に消化できなかった。最もわかってほしい人に全く自分のことをわかってもらえない虚しさ・悲しさ、息子が弱りきっていることもわからず、自分の世間体のためにこれ以上息子を戦わせようとさせる母の無慈悲さ、敗北の感情を自分で処理できず、ダイレクトに息子に投げかけてくる母の精神的幼さ、教授とかノーベル賞とかちょっとでも社会的な事がわかる人にとってはそれが如何に困難であるかということを全くわかってない母のアホさ、それら全てが嫌だった。
でも、母がもっとしっかりした人なら、自分のパーソナリティももっとしっかりしたものになっていたはずで、しっかりと自己主張できる人間に育っていて、変な教授にも変な女にも引っかかっていなかっただろう。それも理解できた。
母に孫ができて以降、母も安定し、また同居することで、自分の体調の悪さや自分の仕事の大変さも少しずつ理解できるようになったようで、最近はそのようなことは言ってこなくなった。
でもちょっと人生がうまくいかないからって、それを人にぶつけるなよとは思う。本人はそれ以上に困っているのに、人に当たらず頑張っているのだから。
渡邉渚さんは、もう覚悟ができていて、自分の人生のために恐怖に曝露し続け、幸せを再獲得することを諦めないのだろう。自分も彼女についていけるよう、できる範囲で、恐怖に挑み続け、この病気を克服していきたいと思っている。