先週はラボミーティングの担当があり、少々疲れた。でも、今までで一番余裕を持って、発表の準備を終わらせることができた。前日の夕方にはスクリプトが完成し、あとは通読して内容を頭に入れるだけであった。
ここでの研究生活も残り僅か。以前までは「日本に帰りたい」という気持ちがほとんど芽生えなかったのだが、コロナで家族に会えないからか、早く日本に帰りたいという思いが強くなってきた。早送りして、目が覚めたら帰国の前日になっていて欲しい。
数ヶ月前までは、アメリカを離れなければならないことがものすごく寂しかった。心の中で「私のアメリカがぁ」とここでの生活が夢みたいになってしまうのが名残惜しく、切なかった。一度日本に帰国してしまうと、おそらくもう二度と長期間アメリカで生活することはない。この「寝ても覚めてもずっとアメリカ」という状況の貴重さを痛感している。かといって、毎日だらだら過ごすことも多く、貴重なアメリカ生活を有効活用しているわけでもないのだが。
ラボミが終わると自分のご褒美にスタバでバニラクリームフラペチーノを注文した。以前、ブログでも書いた、真っ白な飲み物がバニラクリームフラペチーノであるということがわかったのである。正直大したことはなかったが、なんとなく贅沢感が出ていい。
最近は本を全く読まなくなってしまった。ついこの前まで、読書がやめられない自分に苛立ち、「せっかくアメリカに来ているのに、英語の勉強をせず、メンタルヘルス関連の本ばっかり読んでいる」と嘆いていたのだが、なぜか本を読まなくなってしまった。おそらく、現時点で自分の読書によるインプットが完成したのだと思う。これからしばらくの間は、アウトプットの時期なのだろう。それが一段落すれば、また読書の波も訪れるのかもしれない。
ここ1~2ヶ月の間、友達の家にゲームに招かれることが多かった。その友達は積極的で、ゲームが終わりお暇するタイミングで「次はいつ来る?」と次の予約を確認してくる。自分は、そのことに対して少し恐怖心を感じていた。冷静に考えてみて、なんでそんなことで、それほど強い恐怖心を感じてしまうのか、わからない。「ばかばかばか」と自分で自分が嫌になる。その友人は自分とは金銭感覚が異なり、高額な買い物を頻繁にするのだが、そのことにも結構強めの恐怖心を感じてしまっていた。別に自分から金銭を要求されるわけでもないのに、なぜか身の危険を感じた。本当に自分が嫌になってしまう。
こんなふうに、自分は生きるのに向いてないなと思うことが、多々ある。ちょっとした、異質さを感じるだけで、自分の妄想が過剰に暴走してしまい、妄想した映像に恐怖慄いてしまう。
でも、これが自分でもあるのだ。恐怖を感じることの問題点は、恐怖を感じることで、行動に抑制がかかってしまうことである。恐怖心を感じてしまうことは仕方がない。でも、それを感じながらも、行動を継続することを心がける。それが、最近の自分の目標である。自分が感じることは、自動思考は残念ながら修正できないが、その後の行動は、編集が可能なのである。
「これから毎週、その友達に誘われるのかな?予定がバッティングしたらどうしよう。断りの連絡を入れたら、嫌われるかな」そんなことで悶々と悩んでいた自分であったが、来週からその友人の家族がアメリカに来る。彼は単身赴任をしていたのだ。だから「これからはそんなに誘えない」ということを彼からも告げられた。
またしても、自分の心配は杞憂で終わった。30年間、ずっとそんなことを繰り返してきている。本当に困る事案というのは、大体が想像しない予期せぬことからやってくる。そんなことは、知っているのだが、脳が常に暴走してしまう。いらない心配がやめられない。両親にそっくりである。
それと、季節が春先ということも関係していると思う。自分は春先、少しうつっぽくなるのだ。カウンセリングに通う始めたのも、4月だった。あの頃の「頼むから誰か助けてくれ」という感覚はいまだに忘れられない。
ただ、その友人とゲームをしている時間は楽しくもあった。それが、結局のところ、この1~2ヶ月、自分がその友人の家に通い続けた理由でもあったのだろう。
自分はこんな奴だが、今月も頑張って生きます。